今回は蓮如上人が62歳(1476年)に、堺御坊信証院を建立されるまでのエピソードをご紹介します。
樫木屋道顕(かたぎやどうけん)
蓮如上人が堺でご布教の際に、熱心に堺へ蓮如上人を招いた人が、樫木屋道顕です。
樫木屋道顕は、父が明(中国)商人の堅致、母は町衆万代屋娘の木ノ花で、両親ともに商人でした。
万代屋は当時、明国相手に旅館を運営しており、その時に宿泊者の堅氏と恋に落ち、道顕を授かったのですが、父は中国に帰ってしまいます。
大人になると自分の出生を知り、すでに父は亡くなっていました。
父との対面がかなわない悲しみと、強い無常観で、浄土真宗へ帰依したといいます。
そして父の死を無駄にしないと、樫木屋道場を開きました。
堺には、もともと足利義氏の四男道祐が覚如上人に帰依して建立した真宗寺がありましたが、廃っていたため、道顕が再興を志しました。
1470年には、蓮如上人をお招きして、慶讃法要(本堂の落慶供養)を行っています。
翌年、蓮如上人は福井・吉崎御坊へ布教の拠点を移されますが、約5年後大阪へ拠点を戻されます。
大阪の拠点については、下記をごらんください。

堺御坊信証院を建立
蓮如上人は出口(枚方)を拠点として布教されていましたが、堺へも足繁く布教に回られていました。
蓮如上人は62歳(1476年)のとき、堺へ訪れた際に造営された樫木屋道場を信証院と名付けています。
「信証院」とは、蓮如上人の院号であり、院号をそのまま寺院の名称にするほど心をかけておられた場所だとわかります。
堺は海上交通に優れた土地であり、交易で栄え、信証院を中心に寺内町が拡大していきました。
堺で活躍していた樫木屋道顕は、今後、石山本願寺の建立のときにも、活躍していくこととなります。
編集後記
蓮如上人時代、樫木屋道顕など蓮如上人を心からお慕いした親鸞学徒によって、大阪で親鸞聖人の教えが伝えられていったことが知らされます。
親鸞学徒の先輩たちに感謝しながら、今日まで届けられた親鸞聖人の教えを、大阪会館で求めさせていただきましょう。
