大阪と浄土真宗– category –
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大阪と浄土真宗
三首の和歌の落し文と佛照寺教光の改心
今回は、茨木市にある佛照寺の教光と蓮如上人について紹介します。 以下の記事の続きになります。 蓮如上人の来訪 文明9年(1477年)の秋、蓮如上人は自ら摂津茨木の当時佛光寺派であった佛照寺を訪問します。 この時蓮如上人は佛照寺に参詣した際、寺宝の... -
大阪と浄土真宗
勝光坊西順と親鸞聖人
今回は、茨木市にある佛照寺の開基、勝光坊西順について紹介します。 武士から僧侶へ 勝光坊西順は、鎌倉幕府の御家人であった佐々木盛綱の子・佐々木俊綱として生を受けました。 父の盛綱は鎌倉幕府に仕える武将であり、承久3年(1221年)の承久の乱では... -
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親鸞聖人の教えを未来へ。河内・松谷光徳寺の激動の歴史
親鸞聖人の教えを固く守り、のちに本願寺の蓮如上人を支える重要な存在となった大阪の古刹、松谷光徳寺。 今回は、親鸞聖人の弟子・俊円の跡を継いだ後継者たちが、いかにしてその教えを広げ、困難な時代を乗り越えていったのか、その激動の歴史を紐解きま... -
大阪と浄土真宗
大阪の浄土真宗の先駆け!親鸞聖人と光徳寺の俊円について
今回は、大阪の浄土真宗の礎を築いた「草分け」とも言えるお寺「松谷の照曜山光徳寺(しょうようざんこうとくじ)」の俊円について紹介します。光徳寺が、どのようにして大阪の特に河内地域における浄土真宗の拠点となったのか、俊円の活躍について紐解き... -
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蓮如上人と安心決定鈔
蓮如上人は、安心決定鈔を生涯拝読され、大事にされました。 著者は不明ですが、蓮如上人は「黄金を掘り出すような書物」と仰っており、大坂御坊でも重要なご著書だとおっしゃっています。 そこで今回は、御一代記聞書の内容を紹介します。 蓮如上人のお言... -
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田上の了宗と御恩報謝
今回は、田上の了宗が登場する、御一代記聞書を紹介します。 田上の了宗 大坂殿にて、ある人、前々住上人に申され候ふ。今朝暁より老いたるものにて候ふがまゐられ候ふ。神変なることなるよし申され候へば、やがて仰せられ候ふ。信だにあれば辛労とはおも... -
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思い通りになったこと、ならなかったこと
今回は蓮如上人が晩年、病床の中で仰った2つのお言葉について、紹介します。 思い通りになったこと、ならなかったこと 蓮如上人は、次のようにおっしゃいました。 蓮如上人御病中に仰せられ候ふ。御自身何事も思し召し立ち候ふことの、成りゆくほどのこと... -
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佛光寺派から蓮如上人への帰依した萬福寺「法実」について
今回は、大阪で活躍した萬福寺「法実」を紹介します。 蓮如上人のご苦労のお陰で、全国に親鸞聖人の教えが急速に広がる中、それまで浄土教の有力寺院であった佛光寺の門徒が、どんどん蓮如上人のもとに帰依していきました。 佛光寺派は、古くから畿内地方... -
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聖徳太子の御廟と親鸞聖人の磯長の夢告について
今回は、南河内郡太子町にある聖徳太子の御廟と、親鸞聖人がそこで見たという「磯長の夢告」について紹介します。 聖徳太子の御廟 聖徳太子の御廟とは、聖徳太子のお墓のことです。磯長谷古墳群の1つに位置しています。 磯長谷古墳群とは 磯長谷古墳群は、... -
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明応6年大坂御坊において初の報恩講を勤修
今回は、明応6年(1497年)蓮如上人83歳のときに行われた、大坂御坊での報恩講についての御文章を紹介します。 法敬房順誓への指示 蓮如上人は、75歳のとき本願寺留守職を五男実如上人に譲り隠居されました。 その後も、報恩講は山科でお勤めになり、さま...