蓮如上人62歳(1476年)のとき、堺に布教拠点の寺を用意しながら、北摂布教の拠点として教行寺(きょうぎょうじ)も建立されました。
堺御坊信証院についてはこちらの記事をお読みください。
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62歳 蓮如上人は堺御坊信証院を建立
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蓮如上人当時の教行寺は一度焼き討ちにあっており、もう残っていませんが、再建された現在の教行寺の位置を載せておきます。
阪急総持寺駅から歩いて15分くらいのところにありました。
目次
富田教行寺について
教行寺は摂津国嶋上郡富田(高槻市付近)に、蓮如上人62歳のときに創建されました。
教行寺の土地は、室町幕府管領で応仁の乱では東軍大将だった細川勝元から、蓮如上人に与えられたといわれています。
教行寺は建立当時は「富田道場」と呼ばれ、多くの参拝者が訪れました。そのまま富田道場を中心に寺内町が形成され、北摂布教の重要な拠点となっていきます。
しかし蓮如上人が亡くなったあと、1532年には一向宗弾圧によって、寺内町にある親鸞学徒の家々はすべて焼き払われ、富田道場も灰燼に帰してしまいました(享禄・天文の乱)。
その後再建された際に、富田道場は教行寺と名付けられました。
教行寺の名称は、蓮如上人が富田道場で教行信証を書写されたことに由来します。
編集後記
蓮如上人が無念にも吉崎御坊を退去され、大阪(出口)に来られたのは61歳のときであり、堺に布教の拠点をつくり、高槻付近に教行寺を建立されたのは62歳のときでした。
蓮如上人は大阪に来られてからも、少しも布教の勢いは衰えず東奔西走されていたことがうかがえます。
大阪会館で親鸞聖人の教えを聞法できるのは、蓮如上人のご苦労があってのことだと御恩を偲び、これからも真剣に聴聞させていただきましょう。
