11月23日に、浄土真宗親鸞会大阪会館で報恩講が行われました。
國見講師のご法話の内容を少しご紹介します。
目次
恩徳讃の慈悲について

國見講師から、親鸞聖人の有名な恩徳讃について教えていただきました。
如来大悲の恩徳は、
正像末和讃
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も、
骨を砕きても謝すべし
親鸞聖人は一生涯、仏教(お釈迦様の教え)一つを教えられました。
仏教は、「慈悲の教え」と言われます。
慈悲は「慈の心」と「悲の心」のことです。
- 慈の心:抜苦(苦しんでいる人を放っておけない心)
- 悲の心:与楽(幸せを与えてやりたいという心)
親鸞聖人がおっしゃっている大悲は「大慈悲」のことです。
「小慈悲」について
ここで大慈悲と言われていますが、大があれば小があります。
私たち人間の慈悲のことを小慈悲といい、小慈悲には以下のような欠点があります。
- 続かない:最初は可愛そうだと思うが、いつまでも思い続けられない
- 差別がある:自分の子供と他人の子供との接し方の違いなど、平等ではない
- 先を見通せない:良かれと思ってやったことが結果的に悪い結果となる
しかし慈悲の心を起こさない方がいいということではありません。
慈悲の心をもって、善い行いをすることは大事なことです。
「大慈悲」について
では、大慈悲とは何かというと、仏の慈悲のこと。
大慈悲の特徴は、小慈悲の欠点の反対になります。
- 永久に変わらない心
- 差別がない
- 智慧に裏付けられた心
そして親鸞聖人は、「如来の大悲」といわれており、如来は「阿弥陀如来」のこと。
「如来の大悲」は、阿弥陀如来の大慈悲のことで、阿弥陀如来の大慈悲には、身を粉にしても報じずにはおれないといわれているお言葉です。
歎異抄では阿弥陀如来の慈悲を「末徹りたる大慈悲心」といわれており、阿弥陀如来は、徹底した大慈悲心で私たちを絶対の幸福にしてくださるのです。
編集後記
國見講師から、親鸞聖人が阿弥陀如来からどのようなご恩を受けて、命を捨ててでも報いずにはおれないとおっしゃっているのか、詳しく教えていただきました。


私たちは親鸞聖人がおられなければ、このような深い教えを聞くことは絶対にできませんでした。
親鸞聖人のご恩に報いられるよう、これからも共に大阪会館で真剣な聞法に励みましょう。