帖外御文 有馬紀行

以下、帖外御文の一つで、有馬紀行と言われる御文です。

有馬湯治の御文の解説はこちらです。

出典:蓮如上人遺文

文明拾五年八月廿九日、為湯治摂州有馬郡に下向す。在所は雍州宇治郡山科之内野村之里を早旦に出、勧修寺・おぐるすを打ながめ、石田をとをり、こわ田之地蔵堂を打おがみ、よど船をこぎよせて、うちのり行程に、おりふし河波静にして、伏見山をながめゆく間、広瀬之里にぞ船をよせて其よりあがり、いそぎゆく程に、摂津国上郡御料所之富田と云所に下著す。則此在所に一宿して、あくれば晦日なれば、いそぎ有馬郡湯山へとぞ志す。其道すがらをいへば、中城総持寺と云て、米たけの観音のまします寺を右に見て、其より大田河原之末を渡りゆき、ぬかつかのこしをとをり、福井ガ城を右にみ、同く宿井ガ城も右にみ、則宿井河原をうちすぎて、又池田がたちも右にみていそぎ行程に、石田の茶屋をとをりしかば、是や昔より聞します田之池とかや是也と、うちながめしかば、心ろ一に一首ばかりぞつらねけり。


音に聞ます田の池を いま見れば
つゝみのかたち それとのみしる


とかやうに思つゞけて行程に、いつのまにかはいな河と云所につきて、是にてすこしやすみ、やがて舞谷と云在所をとをり、いそぐとすれば、はや程もなく大たゞ河原を打すぎて、なま瀬の渡をして、船坂と云所へつきければ、是よりは湯山へ一里とかやきけば、うれしくてあゆみゆく程に、はや湯山もちかくなりて、岩坂にうちかゝり、やがて七坂八たうげをこえすぎて、有馬之こほり湯山之御所坊と云ふ宿へぞ下著し侍べるとて、かくぞつゞけゝり。


岩坂や 七坂八たうげ こえすぎて
ありまの山の 湯にぞつきけり


又云、


さかこえて ゑにし有馬の 湯舟には
けふぞはじめて 入ぞうれしき


と打詠じて、やがて湯つぼに入て、近比の湯也と感ぜざりし人はなし。さて其夜は我も人も、道すがらの山坂をこえしいはれによりて、くたびれて前後不覚にして臥りけり。さる程にあくれば又湯に入て後、余に此宿の前にかけひの水又ほそ谷川之水のおつるおと、事外にかしましきあひだ、其夜之五の時分に加様につゞけゝり。


ふる雨に にたるとおもふ 湯山の
をとかしましき やどの谷川


さる程に今日やあすと思へども、初七日之湯もすぎゆけば、余の徒然さに、古へ此湯山へ入し事を思出すにつきて、口ずさみけり。


年をへて 又ゆの山に 入身こそ
薬師如来に ゑにしふかけれ


老の身の 命いまゝで ありま山
又湯に入らん 事もかたしや


如此日をふる間、去ぬる廿余年になりし時、かま倉谷を久く見ざりしほどに、思立九月四日に一見せしに、あまりに彼在所おもしろかりしまゝに、かへるさにかやうに、


ゆの山を いづるけしきの 道すがら
かまくら谷の をもしろきかな


と思つゞけて、やがて湯に入しかば、其夜はくたびれてみなみなふせりあひけり。又あくれば雨が一日中ふりこめられて、もうもうとしてこそくらしけり。されども五日八日は天気事外よかりしかば、今日は幸に薬師の縁日なればとて、薬師堂へまひり、同く坊へゆき て寺之縁起を所望して聴聞し侍べりぬ。さてあくれば九月九日之櫛句なれば、又薬師堂幷に女体権現へもまひりて、其かへさに菩提院と云寺へゆきて、坊主と雑談しければ、茶なんどをけたみけり。又十一日には同く薬師堂へまひり、寺へゆきて、院主に対面して種々之昔物語のみにてかへりぬ。やがて湯に入、其まゝやすみ侍ぬ。さる程に十三日は二七日に相当るあひだ、上洛之用意のみにて、此間之湯治中之名残さよなんど申合て、明日十三日には早朝に湯山を出ける時に、心の内に加様に案じけり。


日数へて 湯にやしるしの 有馬山
やまひもなをり かへる旅人


と打詠じて、湯山御所坊之宿をたちぬ。さるほどに已前之ごとく七坂八たうげこえすぎて、船坂と云所をとをりければ、四方之山々もはや木ずえの紅葉もところどころは色づきて、谷ごえに見へゆる山、もともおもしろく見へけり。おりふし時雨一とほりふりければ、これよりいそぎまゐ谷と云山家へゆきて一宿して、あくれば同十四日の早朝に米谷をたちて、はるばるとある松原をふみわけ行程に、音にきゝしゐとり野と云所をとをりすぎゆきければ、小屋野々寺も程ちかく見わたせば、つゝみのきわに小屋の池のはたをとをり、打ながめゆくほどに、尼がさきをばとをく右にみおくりてゆくまゝに、つか口と云ふたかき所に輿をたて、遠見しけるほどに、あまりのおもしろさにしばらく休息しけり。それよりしてゆくほどに、さか部若王寺をとをり、天楽づゝみを打ながめゆくほどに、かんざきの渡をして、其舟に屋形舟をこしらへて、数盃の興のみにてあそびしかば、いつとなくくらはしと云所ちかく舟をこぎのぼせつゝ、みぎわをのりてゆくほどに、中島之内賀島と云所へつきて、其れにて一宿して、あくる朝たちて、同島之内三葉と云所へたちよりて、其よ り江口の渡をして、からさきと云所へゆきて、其より舟にのりて出口へつきけり。さるほどに出口に中一日逗留して、同十七日には早朝に出口たちて、からさきの渡をして、かぶり大つかへゆきて、其より船をこしらへてのりてのぼりぬ。船中にて四方之山々を見めぐりて、いひすてなんどにてこぎゆくほどに、伏見ちかくなりぬれば、山科よりむかへとて人数あまた見へければ、ちからづきていそぎ舟をこぎよせ、其よりいそぎ山科の本坊へ上洛し侍りぬ。
文明十五年九月十七日

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

目次