佛光寺派から蓮如上人への帰依した萬福寺「法実」について

今回は、大阪で活躍した萬福寺「法実」を紹介します。

蓮如上人のご苦労のお陰で、全国に親鸞聖人の教えが急速に広がる中、それまで浄土教の有力寺院であった佛光寺の門徒が、どんどん蓮如上人のもとに帰依していきました。

佛光寺派は、古くから畿内地方を中心に広がっており、蓮如上人が布教された地域と重なる部分が多く、佛光寺門徒からの転向は、必然的な成り行きでした。

佛光寺派から蓮如上人のもとに帰依した有名なお弟子に経豪(蓮教)がいますが、経豪が帰依する前から、佛光寺の門徒が蓮如上人のもとに帰依していきました。

佛光寺派や経豪(蓮教)については、以下の記事をお読みください。

大阪において佛光寺門徒から蓮如上人のお弟子になった人として、摂津国柴島(現在の大阪市東淀川区柴島)に住んでいた「法実」がいます。

柴島は淀川の沖積平野に位置し、萬福寺という寺院が現在もその場所に建っています。

「法実」はこの萬福寺の歴代住職に名を連ねており、蓮如上人の門下であった事実は、「法実」が所持していた佛光寺系の二十師連坐像の裏書によって明らかになりました。

連座像

連座像には、法然上人と親鸞聖人をはじめ、真仏、源海、了海、誓海、明光、了源、空専、教真、賢真、西定、西真、□□(不明)、円道、法願、法秀、法円、法妙、法実が描かれています。

その連坐像には、以下のように蓮如上人ご自身が記入された裏書があります。

大谷本願寺 釈蓮如(花押) 寛正四年癸未九月九日 日本血脈相承真影 願主 釈法実

連坐像裏書

「大谷本願寺 釈蓮如(花押)」 は、大谷本願寺の蓮如上人が署名(花押)した、という意味です。

「寛正四年癸未九月九日 日本血脈相承真影」は、 寛正四年の癸未年(1463年)、9月9日に制作された、日本血脈相承真影という連座像であることを示しています。

「願主 釈法実」は、この連座像が「法実」に向けて渡されたということです。

「日本血脈相承真影」は連坐像の題名であり、佛光寺派ではこの連坐像によって法脈の伝承を示していました。

上記裏書から、蓮如上人が本願寺を継職してから7年目に当たる1463年に、蓮如上人が「法実」に対してこの連坐像を与えたことがわかります。

蓮如上人は、連座像を人に贈ることはほとんどありませんでした。そのため、「法実」からどうしても連座像が欲しいと強く依頼された蓮如上人は、「法実」の思いを汲んで、やむなく連座像を渡したと考えられています。

法実のように、元々は他の宗派である佛光寺門徒でありながら、蓮如上人の説く親鸞聖人の教えに惹かれて弟子となった人々は、決して珍しい存在ではなく、むしろ多くいたと考えられています。

連座像が示しているように、法実は了源の弟子である空専の流れを汲む門徒でした。この連座像以外にも多くの記録が残されており、それを見ると空専の流れを組む門徒は非常に強固な宗派でしたが、そのような中でも、蓮如上人は真実の教えをひろめていかれたのでした。

法実が蓮如上人の弟子となったことは、蓮如上人が伝えた親鸞聖人の教えが、他の宗派をも巻き込みながら急速に広まっていった様子をよく表しています。

目次

編集後記

蓮如上人のもとに、当時最大宗派であった佛光寺派の門徒が、続々と帰依するようになりました。

そのような親鸞学徒の先輩たちは、後生の一大事の解決を求め、正しい親鸞聖人の教えを真剣に求めていたからでしょう。

私たちも浄土真宗親鸞会大阪会館で、正しい親鸞聖人の教え、阿弥陀仏の本願を真剣に聞かせていただきましょう。

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