大阪は聞法のための独立都市だった

今回は、顕真平成9年7月号に記載された、「関西降誕会パンフレット」の内容を紹介します。

目次

蓮如上人と大阪

大阪城と大阪の街を、最初に築いたのは誰か……。

秀吉と答える人が、多いのではないでしょうか。実は、蓮如上人なのです。

大阪の市街は、大阪城の城下町として発展する前に、本願寺の寺内町として形成されました。

大阪城は、信長によって破壊された広大な石山本願寺の土台の上に建設されたものだったのです。

大阪は水都です。都市を機能させるためには、おびただしい橋を必要とします。京の「八百八寺」と対比して、大阪の「八百八橋」といいならわされてきました。

大阪市内が、現在のような近代的な架橋でつながるまでには、それこそ無数の橋杭が打ち込まれてきたのです。その橋杭を、大阪に、最初に打ち込まれたのが蓮如上人だったのです。

それは明応五年(一四九六)の秋のことでした。親鸞聖人の教えを日本全国へ伝えようと精力的に活動を続けてこられた蓮如上人も、八十二歳になっておられました。

六十九歳のときに京都に山科本願寺を建立された後も休まれることなく布教を続けられ、西国への新たな布教拠点として、大阪に石山本願寺を建立されたのです。

蓮如上人ご自身が『御文章』に、次のように記しておられます。

そもそも当国摂州東成郡生玉の庄内大坂という在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや、さんぬる明応第五の秋下旬の頃より、かりそめながらこの在所をみそめしより、すでにかたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ……

御文章四帖目一五通

これは、「大坂」という地名が最初にあらわれる文献です。蓮如上人こそ、大阪の名付け親だといわれています。

「大坂」の名付け親については、以下の記事もお読み下さい。

「現在も大阪市民が抱き続けている特有の市民感覚、たとえば平等感覚や世の権力や権威というものに対する姿勢は、そのまま蓮如上人のご教化の延長線上にあり、決して足軽あがりの天下人の庶民性がもたらした文化遺産ではない」

という研究報告があるほど、大阪と蓮如上人は深い関係があるのです。

信長と11年戦った石山本願寺

大阪は、京都と堺という、当時の大都市のちょうど中間に位置していました。しかも、東に大和川、北に淀川が流れ、軍事的に要害の地であっただけでなく、水路を利用して都から瀬戸内への交通の要路であり、経済的にも将来性の高い地であったのです。

戦国乱世にあって、いち早く、大阪の地に注目されたのが蓮如上人でした。その慧眼は歴史家が多く賛辞を贈っているところです。

蓮如上人がお亡くなりになってから三十年後、京都の山科本願寺は日蓮宗徒らによって焼き打ちされ全焼してしまいます。これによって、大阪の石山本願寺が、浄土真宗の本山となったのです。

やがて、天下統一をめざす織田信長が、大阪の立地条件に注目し、石山本願寺に立ち退きを要求してきました。

本願寺は拒絶します。当然、合戦になりましたが、破竹の勢いで領土を広げていた信長も、石山本願寺の前では動きが止まりました、十三年も戦いが続いたのです。

真実の仏法が説かれる我らが法城を護れ

と、全国から真宗門徒が馳せ参じ、命懸けで戦ったからでした。最後には、和睦の形で石山本願寺を明け渡しましたが、あの信長の、最大かつ最強の敵が、大阪に本拠をおく石山本願寺だったことは間違いありません。

聞法のための独立都市だった

なぜ信長は、それほどまでして本願寺に立ち退きを要求したのか。その理由として注目されているのが当時の石山本願寺の繁栄ぶりです。一九九〇年代になってから、大阪城一帯では、当時の石山本願寺のものとみられる遺構が次々に発見されています。ところが、発掘調査で、遺構と遺構の間がかなり離れていることが分かりました。つまり、石山本願寺は大阪城の堀の内側すべてをしめる巨大な寺院だったのです。

石山本願寺は、最大級の寺内町を形成していました。その名の通り、寺の中に町があったのです。仏法を聴聞させていただく本願寺を中心に、十の町があり、数千軒の家があったともいわれています。

周囲を堀と城壁で囲み、外敵の侵入を防いでいました。中では自由に商業活動が行われ、門徒衆は仏法中心の生活を営んでいました。

各地からの参詣者も、道中は命懸けでも、石山本願寺の城壁の中に入ってしまえば安心して親鸞聖人の教えを聴聞できたのです。まさに、戦国乱世における独立都市といえます。

この大阪城ホールの地は、後生の一大事の解決一つを念じて参詣した人々が命懸けで聴聞した場所なのです。しかも、この大阪城の地で、どれだけ多くの真宗門徒が、信長と戦い、命を散らしていったかわかりません。愛山護法に燃ゆる先達あればこそ、今、私達は、本当の親鸞聖人の教えを聞法させていただけるのです。

編集後記

蓮如上人が石山本願寺を建立されたあと、当時の大阪の親鸞学徒が聞法中心の生活を送っていたことがよくわかりました。

親鸞学徒の先輩方が命をかけて護ってくださった親鸞聖人の教えを、これからも大阪会館で大切に聞かせていただきましょう。

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