大坂商人(船場商人)に熱心な浄土真宗門徒が多かった理由

大坂商人は、日本三大商人の一つともいわれ、全国でも有名です。

その大坂商人のほとんどが『浄土真宗門徒』と言われています。

今回はその理由について考察します。

※明治以前は大阪は「大坂」と使われていたというので、ここでは「大坂」で統一しています。

大阪の由来についてはこちらの記事をご覧ください。

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目次

大坂商人(船場商人)とは

大坂商人とは、以下のように発展してきた大坂経済圏の中心で商売を行った商人をいいます。

大坂の経済圏は、最初石山本願寺の寺内町として発展しました。

しばらくして石山本願寺が織田信長と戦い、石山合戦で陥落したあと、豊臣秀吉が上町台地に大坂城を建築し、そこを中心に城下町が形成されていきます。

秀吉は大坂を商業都市とすべく、京都より伏見商人、堺より堺商人、河内より平野商人を大坂の「船場」と呼ばれる地域に集めていたので、これらの商人を船場商人と総称していました。

現在の船場は赤枠部分 引用:https://www.kobekatsu.com/semba-center-building/

大坂の陣で豊臣氏が滅亡したあと、徳川家康の長女亀姫の子どもにあたる、松平忠明(ただあきら)が大坂の地に10万石を入封され、築城、大坂の整備を行い、『天下の台所』の基盤ができました。

江戸時代になると「船場商人」は一部の商人ではなく、大坂商人全般を意味するようになっていったといいます。

※メモ:現在の大阪城は徳川家由来であり、大阪でよく言われる「太閤はんのお城」ではありません。

大坂商人の合理性と親鸞聖人の思想

大坂商人はとても「合理的」で「現実的」です。

そして合理主義の精神は、親鸞聖人の思想(教え)から来ているものだと言われます。

まず大坂商人の合理性について説明します。

始末、才覚、算用

大坂商人が非常に合理的なのは、重要な心得に「始末、才覚、算用」があります。

「始末」とは、帳簿の始まりと末、つまり帳尻を合わせること。ここから浪費を惜しみ、質素倹約につとめることを意味します。

「才覚」は機転、工夫、アイデア、工面といった意味です。いつ投資をして設備機器を整え、いつ財布の紐を縛るかなど、商売の戦略を考えたり、時代の流れを読んだり、ピンチの際に重要になります。

「算用」は、勘定、計算、見積もりという意味です。

このように、大坂商人は「始末、才覚、算用」という心得のもと、非常に合理的な考え方を大切にしてきました。

ではなぜ、このように合理的な考え方をするようになったのかというと、迷信などを信じず親鸞聖人の教えを生活の中で実践してきたからだというのです。

迷信を一切廃した親鸞聖人の教え

浄土真宗は数ある仏教の宗派の中でも非常に現実的で、合理的な教えといわれます。

それは仏教の根幹である因果の道理を信じ、厄年、占い、風水、姓名判断、六曜といった迷信を一切信じなかったからです。

親鸞聖人はご和讃で次のように教えられています。

悲しきかなや道俗の

良時・吉日えらばしめ

天神地祇をあがめつつ

卜占祭祀つとめとす

正像末和讃

これは“悲しいことよ。僧侶も在家の者も、日の善し悪しを論じ、天地の神を崇め、占いや祭りごとをやっている”という意味です。

また蓮如上人は御文章に、浄土真宗は物忌み(凶事や不吉を避けるために、あるいは斎戒のために、謹慎すること)を一切しないので、「をかしくきたなき宗」と周囲から批判されていると書かれています。

当宗を、昔より人こぞりてをかしくきたなき宗と申すなり。これまことに道理のさすところなり。(省略)つぎに物忌といふことは、わが流には仏法についてものいまはぬといへることなり。

御文章一帖目第九通

ここから蓮如上人の時代にも、浄土真宗の門徒は徹底して迷信を排除してきたことがわかります。

また大坂御坊(石山本願寺)建立の際のエピソードとして、以下の話があります。

法安寺の僧、難ぜられていはく、明日は大悪日也、はじめて寺場造立の日には、しかるべからずと。この旨、森の祐光寺の先祖、内々申入られしかば、如来法中無有選択吉日良辰、仏説疑なし。明日早々取立らるべき也

引用」『反故裏書』(蓮如の孫・顕誓 著)

この意味は、次のとおりです。

蓮如上人が大坂御坊の建立にかかろうとする前日、法安寺の僧侶が、「明日は大悪日だから止めたほうがいい、初めての建立なのでやめたほうがいい」と言ってきたが、蓮如上人は「仏法には吉日とか凶日ということはありえない」と言って取り合いませんでした。

さらに江戸時代の儒学者、太宰春台は次のように言っています。

浄土真宗の門徒は弥陀一仏を信ずること専らにして、いかなることありても祈祷などすることなく、病苦ありても呪術、お守りをもちいず。みなこれ親鸞氏の力なり

引用聖学問答

江戸時代の親鸞学徒も同じく、病気などの苦難にあっても、占いやお守りなどの迷信を信じず、ひたすら後生の一大事の解決のために、阿弥陀仏の本願について聴聞し、生活していました。

門徒もの知らず

このようなことから浄土真宗の門徒は「門徒もの知らず」と揶揄されることがあります。世間で行われている伝統文化を何もしないので「世間に疎いな」「知識や常識がないな」と馬鹿にされるのです。

しかしどんなに馬鹿にされようと、親鸞学徒の先輩たちは、親鸞聖人の教えを正しく理解し、聞法求道していたため、物忌(ものいみ) 占いや厄よけなどの迷信に惑わされませんでした。

つまり浄土真宗の門徒は、世間や常識を知らないのではなく、世間や常識で行われていることが迷信だらけだと知っていたということなのです。

このような合理的で現実的な思想が、生活に根付き、大坂商人の商売上の心得として生きてきたのでしょう。

大坂商人の信仰心

商売の中で利益を追求する中でも、大坂商人の生活の中心にはいつも仏法、親鸞聖人の教えがありました。

西鶴が「大坂の商人は仏さんに凝って、もう金を儲けてもしかたがない、死ぬときは裸だと、そういう考えかたをしているが、そんなことでは金は儲からんよ」と苦言めいたことを書いている。

引用:『宗教都市と前衛都市 隠された日本 大阪・京都』

西鶴とは井原西鶴氏のことで、氏は、大坂商人について上記のことを書いています。

大坂商人は、どんなにお金が沢山あっても、死を前にしてはなんのあて力にもならないことをわかっていました

ここから蓮如上人のお言葉を思い出します。

人間はただ電光朝露の夢幻のあひだのたのしみぞかし。たとひまた栄華栄耀にふけりて、おもふさまのことなりといふとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。もしただいまも無常の風きたりてさそひなば、いかなる病苦にあひてかむなしくなりなんや。まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。されば死出の山路のすゑ、三塗の大河をばただひとりこそゆきなんずれ。

これによりて、ただふかくねがふべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり

御文章一帖目十一通

一生は儚いもの。たった一度きりの人生を後悔しないためにも、少しでも光に向かって、大阪会館で聴聞の一本道を進ませていただきましょう。

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