大阪府、大阪市、大阪会館などで使用している「大阪」は、昔「大坂」と使われていました。
この「大坂」の言葉の由来について紹介します。
「大坂」の文字が記録上初めて登場するのが、蓮如上人の書かれたご文章です。
そもそも、当国摂州東成郡生玉の庄内大坂といふ在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや、さんぬる明応第五の秋下旬のころより、かりそめながらこの在所をみそめしより、すでにかたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ、当年ははやすでに三年の星霜をへたりき。これすなはち、往昔の宿縁あさからざる因縁なりとおぼえはんべりぬ。
引用:『御文章4帖目第15通』
角川日本地名大辞典(27 大阪府)には、大坂の由来についてこのようにあります。
「大坂とも書いた。(中略)なお地名は地形によるものと思われる。」
「戦国期から見える地名。(中略)本願寺建立以前は小坂(おさか)と称し、後には尾坂とも記した。明応5年の蓮如上人御文(大阪編年史1)に『抑当国摂州東成郡生玉之庄内大坂トイフ在所ハ(中略)』と見えるのが初見。」
引用:『角川日本地名大辞典』
当時大坂は他にも小坂、尾坂など呼ばれており、「大阪」が定着するまでに「豊臣秀吉が小坂と呼ぶことに怒った」など諸説ありますが、明治時代末期になるとほぼ大阪が使われていたと言われます。
大阪府は,古代は「なにわ」と呼ばれ,大阪湾内には島々が散在して いました。しかし,淀(よど)川や大和(やまと)川が運ぶ土砂が積もり,島が接着して陸地となり,いたる所に小さな坂ができ たことから「小坂(おざか)」と呼ばれるようになったのが府名の起こりです。豊臣秀吉が大阪城を建てる時,「俺様の本拠地が 小坂とは何事じゃ。以後は大坂にせえ。」と言ったとの言い伝えもあります。江戸時代末期,「大阪の字は土に反(かえ)る(農 耕作ができぬ)と書く。縁起が悪い。」と言われたし,いつの間にか「大阪」を多用するようになりました。しかし,明治時代に なっても,「大坂」と「大阪」は混用され,「大阪」がほぼ完全に定着するのは明治時代末期のことです。
引用:東書KIDS
ここからも大阪と蓮如上人は深い縁があることがわかります。
