蓮如上人と安心決定鈔

蓮如上人は、安心決定鈔を生涯拝読され、大事にされました。

著者は不明ですが、蓮如上人は「黄金を掘り出すような書物」と仰っており、大坂御坊でも重要なご著書だとおっしゃっています。

そこで今回は、御一代記聞書の内容を紹介します。

目次

蓮如上人のお言葉

大坂殿にて、各々へ対せられ仰せられ候。この間、申ししことは『安心決定鈔』の片端を仰せられ候よしに候。しかれば、当流の義は『安心決定鈔』の義、いよいよ肝要なりと仰せられ候と云々

出典:『蓮如上人御一代記聞書』

意訳:蓮如上人は大坂御坊にて、皆々に向かっておっしゃいました。「先ごろ申し上げたことは、『安心決定鈔』の一部についてお話ししたのである。それゆえ、浄土真宗の教えにおいては、『安心決定鈔』の教えが、ますます肝要である」とおっしゃったとのことです。

蓮如上人が大坂御坊におられたのは、80歳を越えてからなので、晩年になっても安心決定鈔を拝読されていました。

そのことは次のお言葉からもわかります。


前々住上人仰せられ候。『安心決定抄」のこと、四十余年が間、御覧候へども、御覧じ飽かぬと仰せられ候。また金(こがね)を掘り出すような聖教なりと仰せられ候。

出典:『蓮如上人御一代記聞書』

意訳:蓮如上人は「『安心決定鈔』を四十年余りの間、拝読してきたが、読み飽きるということのないお聖教である」と仰せになりました。また「黄金を掘り出すような書物」とも仰せになりました。

また帖外御文には、「当流信心のおもむきは安心決定鈔をよくよく披見すべし」とあり、『夏御文』と呼ばれる御文章には、『安心决定鈔』からの引用が複数あります。

さらに蓮如上人が書写した『安心決定鈔』が、長野県の康楽寺や茨城県の照願寺にあるという記録もあります。

これらのことから蓮如上人が『安心決定鈔』をとても大切にされていたことがわかります。

ではどのようなことが教えられているのでしょうか。

安心決定鈔の内容

安心決定鈔には、機法一体の南無阿弥陀仏について詳しく教えられています。

信心決定せん人は「身も南無阿弥陀仏。心も南無阿弥陀仏なり」と思うべきなり。

出典:『安心決定鈔』

意訳:阿弥陀如来に救い摂られた人は、身も心も南無阿弥陀仏と一体となるのである

これは阿弥陀如来に救い摂られると、身心共に名号と一体になる、と明示されたお言葉です。

弥陀に救い摂られると、仏凡一体、「仏心離れて凡心なし、凡心離れて仏心なし」となります。

これを六連島のおかる同行は、「頭叩いても南無阿弥陀仏、手を叩いても南無阿弥陀仏、足を叩いても南無阿弥陀仏、お尻叩いても南無阿弥陀仏、坐った姿も南無阿弥陀仏なら、立った姿も南無阿弥陀仏、歩く姿も南無阿弥陀仏、本願や行者、行者や本願」と言っています。

燃え盛る煩悩そのままが南無阿弥陀仏と知らされる身となるのです。

阿弥陀如来に救い摂られると喜ばずにおれなくなることを、以下のように教えられています。

浄土の法門を説くを聞きて歓喜踊躍し、身の毛いよだつ。

出典:『安心決定鈔』

意訳:阿弥陀如来の本願によって「疑心あること無し」と救い摂られると、天に踊り地に踊るほど喜び、全身の毛が逆立つほどの大歓喜があるのである。

身の毛いよだつ、というのは「全身の毛が逆立つほどの喜び」ということです。肉体上の変化を言われたものではありません。

また阿弥陀仏の本願に救い摂られた人が、常念仏の人であるとも教えられています。

この信心おこりぬるうえは、口業には、たといときどき念仏すとも、常念仏の衆生にてあるべきなり。

出典:『安心決定鈔』

意訳:信心決定した人は、口ではときどき念仏を称えていたとしても、常念仏の人である。

信心決定した人は、たとえ口ではときどき念仏を称え、縁に触れ折に触れ念仏を称えているとしても、「常念仏の人」であると教えられています。

たとえ口で称えていていないときでも、信心決定した人は、常念仏の人なのです。

たとえ食事中、また、寝言で念仏を称えていたとしても、信心決定していない人は、常念仏の人ではありません。

なぜ常念仏の人なのかというと、南無阿弥陀仏をいただいて仏凡一体となった人だからです。

身も心も南無阿弥陀仏なので、常に念仏の人なのです。

常に南無阿弥陀仏の宝と一緒なので、落とすことも無くすことも、忘れることはありません。

スマホや傘は忘れることがあるかもしれませんが、常に南無阿弥陀仏と一体となった人は、落とす心配もなくす心配もないのです。

これを蓮如上人は次のように教えておられます。

弥陀をたのめば、南無阿弥陀仏の主になるなり。南無阿弥陀仏の主に成るというは、信心をうることなりと云々。また、当流の真実の宝と云うは、南無阿弥陀仏、これ、一念の信心なりと云々。

出典:『蓮如上人御一代記聞書』

意訳:阿弥陀仏の本願に救われた一念で、南無阿弥陀仏の主になるのである。南無阿弥陀仏の主になるということは信心決定することである。また浄土真宗の真実の宝というのは、南無阿弥陀仏であり、これは一念の信心である、と蓮如上人がおっしゃいました。

弥陀をたのんだ一念、つまり阿弥陀仏の仰せのとおりになった一念で、南無阿弥陀仏と一つになります。南無阿弥陀仏の主になるということは、信心決定したことです。

また浄土真宗の「真実の宝」は、南無阿弥陀仏です。絶対に落とすこともない、無くすこともない真実の宝と一体になるのです。

これが一念の信心だと教えてくださっています。

また南無阿弥陀仏について次のようにも教えられています。

焼けども失せぬ重宝は南無阿弥陀仏なり。

出典:『蓮如上人御一代記聞書』

焼けもせず、流されもせず、盗まれもしない、常に無上の幸福にしてくださるのが南無阿弥陀仏なのです。

善知識方は、一日も早く常念仏の人になりなさい、真実の宝である南無阿弥陀仏をいただきなさい、南無阿弥陀仏と一体になりなさいとおすすめになっているのです。

真実の宝については、以下の記事もお読みください。

編集後記

『安心決定鈔』は、一般的に誰が書いたのか、ということがよく問題にされていますが、蓮如上人はそのようなことはおっしゃっておらず、『安心決定鈔』の内容の素晴らしさを種々に語っておられます。

私たちも親鸞聖人の教えを学び、真実の教え、阿弥陀仏の本願の素晴らしさを多くの方々と語り合いたいと思います。

これからも浄土真宗親鸞会大阪会館で、阿弥陀仏の本願を真剣に聞かせていただきましょう。

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