聖徳太子の御廟と親鸞聖人の磯長の夢告について

今回は、南河内郡太子町にある聖徳太子の御廟と、親鸞聖人がそこで見たという「磯長の夢告」について紹介します。

目次

聖徳太子の御廟

聖徳太子の御廟とは、聖徳太子のお墓のことです。磯長谷古墳群の1つに位置しています。

磯長谷古墳群とは

磯長谷古墳群

磯長谷古墳群は、聖徳太子御廟と敏達天皇、用明天皇、推古天皇、孝徳天皇の4つの天皇陵を中心に、約30基の古墳からなります。これらの古墳は、5弁の梅の花になぞらえて「梅鉢御陵」とも呼ばれています。具体的には、敏達天皇、用明天皇、推古天皇、孝徳天皇、そして聖徳太子の墓が、梅の花の5枚の花弁に見立てられています。

磯長谷古墳群は多くの皇族の墓が集中している地域であるため、「王陵の谷」とも呼ばれています。

聖徳太子御廟は、大阪府南河内郡太子町の叡福寺の境内にあります。聖徳太子ご在世当時は、太子町付近は磯長または科長と呼ばれており、聖徳太子は自ら廟地として磯長廟を選びました。

選んだ理由は、磯長は蘇我氏の本拠地であり、聖徳太子は蘇我氏との関係が深かったからだといわれています。

そしてその廟地を守るために叡福寺が建立されました。聖徳太子の御廟は、叡福寺北古墳とも呼ばれています。

聖徳太子御廟の特徴

聖徳太子の御廟(古墳)は直径約54メートル、高さ約7メートルの大円墳で、切石造りの横穴式石室が中にあります。聖徳太子と母の穴穂部間人皇后、妃の膳部郎女の棺が置かれたことから三骨一廟とも呼ばれています。

聖徳太子の御廟には多くの僧侶が訪れ、礼堂で修行をしました。

親鸞聖人も19歳の時、比叡山での修行に行き詰まり悩んでいた際に、かねてから深く尊敬していた聖徳太子のお墓にお参りし、3日間お籠りをしました。

すると、2日目の夜、夢の中に聖徳太子が現れ、親鸞聖人の未来について告げられたのです。

これを「磯長の夢告」といいます。

現在、古墳の前にはトンネルの入り口のような建物があるだけで、礼拝するための御堂はありません。これは、織田信長の焼き討ちにあい、再建されていないためです。

磯長の夢告の内容

「親鸞聖人正統伝」には次のように記されています。

同年九月十二日、河州石川郡東条磯長聖徳太子の御廟へ参詣ましまし、十三日より十五日まで三日御参籠なり。第二夜夢想を蒙りたまふ。十五日正午に件の記を書さる。其記文日爰に少仏子範宴、入胎五松の夢を思ひ、常に垂迹の利生を仰ぐ。今幸に御廟窟に詣で、三日参籠懇念して己を失ふ。第二夜の四更に、夢の如く幻の如く、聖徳太子廟内より自ら石扃を発き光明赫然として窟中を照らす、別に三満月在りて金赤の相を現じ告勅して言く、

我が三尊は、塵沙の界を化す。
日域は大乗相応の地なり。
諦に聴け諦に聴け、我が教令を。
汝が命根は応に十余歳なるべし。
命終りて速やかに清浄土に入らん。
善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を。

時に建久二年辛亥

暮秋中旬第五日、午時初刻、前夜の告令を記し畢りぬ。
仏子範宴。

引用:『親鸞聖人正統伝』

意訳:夢に如意輪観音があらわれて、五葉の松を母に授けて私の出生を予告したという、かつて母から聞かされていた話を私は思い出し、観音の垂迹である聖徳太子のお導きによって、この魂の解決を求めて太子ゆかりの磯長の御廟へ泊りがけ参詣した。

三日間、一心不乱に生死出離の道を祈り念じて、ついに失神してしまった。

その第二夜の十四日、四更(午前二時)ごろ、夢のように幻のように自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中は、あかあかと光明に輝いて驚いた。 さらに3つの満月のような光が現れ、金色がかった姿で、次のように告げられた。

阿弥陀仏と観音菩薩、勢至菩薩は、すべての者を救わんと、力、尽くされている。
日本は、真実の仏法が花開く、ふさわしい所である。
よく聴きなさい、よく聴きなさい、私の言うことを。
そなたの命は、あと、十年なるぞ。 命終わると同時に、清らかな世界に入るであろう。
よく信じなさい、深く信じなさい、真の菩薩を。

時は建久二年(1191年)辛亥の年、秋の終わりの中旬、5日目。 昼の十二時頃、昨晩告げられたお言葉を書き終えました。 仏弟子、範宴

如意輪観音と入胎五松の夢の話は、「親鸞聖人正統伝」最初に登場する話です。

また聖徳太子は当時、観音菩薩の生まれ変わりと信じられており、観音菩薩の慈悲を求めて、親鸞聖人も参詣されたと言われます。

聖徳太子については、以下の記事もお読みください。

範宴とは、親鸞聖人がご修行をなされていた頃のお名前です。

聖徳太子から夢告を受けたとき、親鸞聖人はこのお告げの真意がすべてわかったわけではありませんでしたが、夢だとしても、「そなたの命は、あと、十年なるぞ」の余命宣告は、親鸞聖人にとって、大きな衝撃でした。

「私の命は、あと十年……」 19歳の親鸞聖人は、迫り来る「死」を前にして、再び比叡山へ戻り、法華経の難行苦行に身を投じられました。

親鸞聖人のご修行につきましては、こちらの記事を御覧ください。

如意輪観音とは

如意輪観音は、その観音菩薩の変化身の一つです。如意宝珠という願いを叶える玉と、法輪という仏の教えを象徴する輪を持っています。

法輪は仏法のことで、仏法を輪宝に例えています。転輪聖王(インドの伝説上の王)の車の輪宝が一切の障害物を破って進むように、仏法は衆生の一切の明かりのない心を破るので輪といいます。

如意輪観音は、この如意宝珠と法輪によって、人々の願いを叶え、苦しみから救ってくれる菩薩とされます。

観音菩薩は阿弥陀如来の脇侍として、右側に立つ大勢至菩薩は阿弥陀如来の智慧をあらわし、左側に立つ観音菩薩は阿弥陀如来の慈悲をあらわしています。

十年後に解けた謎

親鸞聖人は、昔から数多くの夢を見られた方です。

それは、仏道を追い求めるあまり、寝食を忘れるほど修行に励んだ聖人に、仏が感動して夢の中でまで教えを授けたのではないかと思えるような夢ばかりでした。

夢には、古くから六種類あると言われています。

  • 霊夢:仏や菩薩からのお告げの夢
  • 実夢:正夢
  • 心夢:日ごろ考えていることが現れる夢
  • 虚夢:とりとめのない夢
  • 雑夢:様々な内容が入り混じる夢
  • 懼夢:恐ろしい夢

親鸞聖人の夢告は、霊夢にあたります。

19歳の親鸞聖人に衝撃を与えた、磯長の夢告は、何を意味していたのでしょうか。

夢告の意味

「そなたの命は、あと、十年であるぞ」とは、親鸞聖人は、阿弥陀仏に救い摂られた時に一度死んだ、と仰有っています。

「命終わると同時に、清らかな世界に入るであろう」とは、死ぬと同時に無碍の光明界にとび出させていただいた、ということです。

聖人の著された『愚禿鈔』に、次のように教えておられます。

本願を信受するは前念命終なり、即得往生は後念即生なり

引用:『愚禿鈔』

意訳:弥陀の本願まことだったと信受した一念に、迷いの命が死ぬのである。同時に、往生一定の光明の世界に生まれるのだ

「命終わると同時に、清らかな世界に入るであろう」とは、一念で絶対の幸福に救い摂られることを、予告せられたものでした。

「十年余りで死ぬ」と言われたのは、肉体ではなく、迷いの心のことであったのです。

それが聖人29歳の体験であるから、まさに磯長の夢告から十年余りの出来事でした。

「善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を」と言われた真実の菩薩とは、法然上人でした。

法然上人につきましては、こちらの記事をお読みください。

編集後記

親鸞聖人の「磯長の夢告」を通して、一念の信心について教えていただきます。

「仏法は聴聞に極まる」で、自力の迷心を破るには、善知識にお遇いし、仏法を聞かせていただかねばなりません。

これからも浄土真宗親鸞会大阪会館で、阿弥陀仏の本願を真剣に聞かせていただきましょう。

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