蓮如上人– category –
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蓮如上人
久宝寺の法円と蓮如上人の信頼関係
今回は、蓮如上人のお弟子である法円について紹介します。 法円は「摂津河内門徒の中心人物は、この石見入道光善と久宝寺道場の法円とであった」(引用:真宗史概説)と評価されるほど、摂河地方での布教で大変活躍したとされる人物です。 石見入道光善に... -
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津国郡家(高槻市)の主計の改心
今回は、蓮如上人が山科本願寺を建立された時、高槻市あたりに住んでいた「主計(かずえ)」について紹介します。 主計は蓮如上人御一代記聞書に登場する人物です。 津国郡家の主計と申す人なり。暇なく念仏申す間、ひげを剃るとき切らぬことなし、忘れて... -
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大和の了妙のエピソードを紹介
今回は、蓮如上人御一代記聞書にも登場する、大和の了妙のエピソードについて紹介します。 当時の大阪堺にいた堺の日向屋という人物と対比して、お話しされています。 本当の宝とは 蓮如上人は以下のように了妙について述べられています。 堺の日向屋は三... -
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有馬湯治の御文について
今回は、蓮如上人が兵庫の有馬温泉で療養されたときのことを紹介します。 有馬紀行 山科本願寺を建て終えられた1483年(文明15年)69歳の時、蓮如上人は有馬温泉へ行かれたことを、御文章に書き残されています。 原文はこちらをご覧ください。 蓮如上人の... -
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帖外御文 有馬紀行
以下、帖外御文の一つで、有馬紀行と言われる御文です。 有馬湯治の御文の解説はこちらです。 出典:蓮如上人遺文 文明拾五年八月廿九日、為湯治摂州有馬郡に下向す。在所は雍州宇治郡山科之内野村之里を早旦に出、勧修寺・おぐるすを打ながめ、石田をとを... -
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78歳、西証寺(後の久宝寺御坊顕証寺)の建立について
今回は、久宝寺御坊と呼ばれる顕証寺の前身、西証寺(さいしょうじ)の建立について紹介します。 西証寺の建立 蓮如上人は75歳で本願寺住職をご子息に譲られましたが、その後も大阪に何度も訪れ、布教活動を続けられていました。 そして78歳頃、聖徳太子が... -
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75歳 蓮如上人が山科本願寺の住職を譲り南殿へ隠居
今回の記事は、蓮如上人が山科本願寺の住職の座を譲ったあとについてです。 蓮如上人のご布教は、幾度も大阪にお越しになられています。 空善記の記録 1489年(75歳)8月28日に、蓮如上人が住職の座を8男実如に譲り、山科本願寺の南殿で隠居されるときに、... -
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63歳 蓮如上人が山科本願寺建立を決意
今回は、蓮如上人が63歳(1477年)で山科本願寺建立を決意されたときのことを紹介します。 場所は大阪の出口御坊光善寺でした。 出口御坊についてはこちらの記事をお読みください。 京都へ戻れなかった理由 吉崎御坊を退却されたあと、大阪の出口御坊を拠点... -
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62歳 蓮如上人の北摂布教の拠点 富田道場
蓮如上人62歳(1476年)のとき、堺に布教拠点の寺を用意しながら、北摂布教の拠点として教行寺(きょうぎょうじ)も建立されました。 堺御坊信証院についてはこちらの記事をお読みください。 蓮如上人当時の教行寺は一度焼き討ちにあっており、もう残って... -
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62歳 蓮如上人は堺御坊信証院を建立
今回は蓮如上人が62歳(1476年)に、堺御坊信証院を建立されるまでのエピソードをご紹介します。 樫木屋道顕(かたぎやどうけん) 蓮如上人が堺でご布教の際に、熱心に堺へ蓮如上人を招いた人が、樫木屋道顕です。 樫木屋道顕は、父が明(中国)商人の堅致、...