進めば極楽、退けば地獄

石山戦争とは、織田信長と石山本願寺との戦いです。信長が石山本願寺の立地のよさに注目し、立ち退きを要求してきた時も、愛山護法に燃え、全国から馳せ参じた真宗門徒が 10年以上命懸けで戦い、信長の蹂躙(じゅうりん)を許しませんでした。

濃蹶(のうけつ)・峡顛(きょうてん)  いずれか抗衝せん
梵王(ぼんのう)ひとり  降旌を樹てず
豈図らんや 右府(うふ)千軍の力
抜き難し  南無六字の城  

(頼山陽)

【解説】
美濃を制した斎藤道三(濃蹶・のうけつ)も、 甲斐の武田勝頼(峡顛・きょうてん)も あらがう術のなかった織田信長(右府・うふ)に、 本願寺の顕如上人(梵王・ぼんのう)だけが、 屈しなかった。
だれが予想したか、あの信長千軍の力でも 攻め落とせなかったとは。
驚くべき南無六字の法城、石山本願寺。

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