今回は、大阪の親鸞学徒、Shibaさんを紹介します。
Shibaさんのプロフィール
1991年3月、大阪府松原市で生まれ育ちました。
松原市は大阪の真ん中に位置し、松原ジャンクションがあるので、県外へよく行く人は、よく通過する場所かもしれません。
松原市は河内鴨、金網、古墳などが有名で、Shibaさんの通っていた小・中学校出身のスポーツ選手に、オリンピック金メダリストの西矢椛選手がいます。
また松原市には、公式キャラクターの「マッキー」と、非公式キャラクターから公式へと昇格した「まつばらくん」がいます。
出典:松原市HP
このような松原市付近にも、蓮如上人は度々訪れ、布教されていました。
松原市と蓮如上人
松原市にある敬恩寺の寺伝によると、蓮如上人は度々この地域をおとずれ、文明18年(1486)頃に、敬恩寺を開いたとされます。
1478年に山科本願寺を建立されたあとも大阪・奈良・和歌山へ精力的に布教にこられており、文明18年(1486)には紀伊に向かっておられる記録がありますので、紀伊へ向かう途中か、紀伊からの帰りに寺院を開かれたのかもしれません。
敬恩寺には「蓮如上人お手植の松」と伝える古木があり、寺伝によれば、この松は俗に「蝋燭松」と呼ばれ、ローソクのような形をしているため、南河内地方ではよく知られた存在だったそうです。
このような仏縁深い土地に生まれ育ったShibaさんはどのような人なのか、インタビューをしました。
どのような家族ですか?
(Shibaさんの回答)
家族は祖母、父、母、長男(Shibaさん)、長女(妹)の5人家族です。
父は、サラリーマンで、優しかったです。
母は、私たち子どもを、優しく、ときには厳しく教育してくれました。
母との思い出は、私がまだ幼稚園の頃、病気で入院してしまったときです。忙しい中、泊まり込みで看病してくれたのは、今でも記憶に残っていて、感謝しています。
どのような子どもでしたか?
誕生日が3月で早生まれだったので、小さい頃は成長が遅く、勉強も運動も周りの友達と比べると劣っていたように思います。
幼稚園のときは、たぶんわんぱく坊主だったんだと思います。自転車で転んで頭打ったり、友だちに追いかけられて逃げている最中に窓ガラスに突っ込むなど、よく怪我をしていました。ただ骨折などの大怪我まではしなかったのは幸いでした。
小学生のとき
小学生のときは勉強が苦手で、公文に通っていましたが、最後まで問題が解けず居残りしていたのは苦い思い出です。泣いて帰ったこともあります。
対人関係はずっと苦手で、家の中や家族と過ごす事が多かったように思います。小学校のときは、特にカードゲームが好きで夢中になりました。
小学校5年生のときに、コツコツ努力することを覚え、練習してマラソン大会にのぞみ、クラスで6位入賞したのは成功体験となり自信がつきました。コツコツと詩集を暗記して、みんなの前で発表するのも好きでした。
小学生から、阪神タイガースファンで、ペナントレースがはじまるとずっと野球のことを考え、人生の目的はいつか阪神が日本一になること、と信じていました。もちろん今も応援しています。
また小学1年から中学3年まで空手をやっていて、空手を始めてからは身体が強くなり、病気にならなくなりました。
中学生のとき
中学生のとき友人が白血病になり、お見舞いにも行っていて、最後亡くなったときは、死について少し意識するようになりました。
人生の分岐点となるような影響を受けたのは、中学生の時の塾の校長先生です。
先生は「何事もやればできる!」が口癖の人でした。先生の影響で、私も何やってもダメと思うよりも、何でもやればできるんだと思うようになり、何でもやってみようと思うようになりました。できないならできるまでやればいい。
何事も繰り返し繰り返し、実行することが大事だと知らされました。
高校生のとき
高校受験では、特待生を狙っていましたが特待生になれず、第一志望のクラスに入れなかったことで、大きな挫折感を初めて味わいました。それで昔は自分のことが嫌いだったように思います。
大学の進路を決める際には、先述の塾の校長先生が「大阪の人は関西の大学には行ってはダメだ、東京の大学に行って外の世界を見ることが大事だ」と言われていたのを思い出していました。
さらに高校2年生のクラス替えで一緒のクラスになった友達が、東京大学を目指していると聞き、東京の大学へ行きたいと考えるようになりました。
受験勉強
私は理系が苦手だったので、科目数の多い国公立大学は難しいと思い、3つの科目で受験でき、私立の中でも難しい早稲田大学に挑戦しようと思いました。
早速、母や祖母に伝えたところ、祖母から「もし合格したら学費は全部出してやる」と言われ、その言葉を信じて勉強を始めました。今思うとおそらくお酒を飲んでいたので冗談だったのだと思います。
そしてその夏のオープンキャンパスに行きましたが、大学の先輩に話を聞く中で一番耳に残ったのが、「この大学は長いものに巻かれない校風なんだ」という言葉でした。
多くの人は周りがこうしているから自分もそうしようと、自分の意見を抑えて常識や慣習に合わせるのが普通である中、自分のやりたいことに真っ直ぐ進む大学生の姿勢に憧れを持ちました。
世界史が好きで河合塾の早慶オープン模試では、全国6位をとったのは誇りです。
その後勉強を続けましたが現役では合格がかなわず、浪人をして再度チャレンジしました。予備校にいかずに宅浪していたのは今思い返しても辛かったです。試験本番ギリギリまで成績もあがらず不安でしたが、1年後無事に早稲田大学へ合格することができました。
この受験勉強で、結果がでるまでコツコツ種をまくこと、勉強の目的を明確にしてぶれないことが大事だということを学べたことは今でも財産です。
大学生活
しかしようやくたどり着いた大学合格は最初は喜べましたが、しばらくすると薄れていき、これからまた勉強を頑張っていかないといけないのかとむなしさが心の中を占めるようになりました。
せっかく頑張って手にしたものも、あっという間に色あせてしまう。私はこれから何を求めればよいのか。周りの人と同じように無難に生きて、人並みの幸せにはなれるかもしれないが、果たしてそれで人生満足で終えられるのか。悩みは尽きないまま、あっという間に半年が過ぎました。
仏教を聞きはじめたきっかけはなんですか?
学生寮に入り人生について語りたかったのですが、まわりの友人は飲んだり、遊んだりすることに夢中で、語り合える人がいませんでした。数カ月間もんもんとしていました。
毎日変わらない日々を過ごしていたある日、先に仏教を学んでいた大学の先輩が、「一緒に仏教について学んでみないか」と声をかけてくれたのがきっかけです。
仏教・親鸞聖人の教えで一番関心があった内容はなんですか?
一番関心があったのは、『歎異抄』に書かれている「無碍の一道」の教えです。
私は、高校のときに政治体制に関心があり、資本主義と共産主義ではどちらが幸せになれるのか。欲を自由に満たすだけ満たして格差社会で生きればいいのか、欲を抑えて平等に生きたらいいのか、考えていましたが、答えがでませんでした。むしろどちらも悪いように思いました。
さらに高校の頃から法律に関心があり、善と悪とは、ということも考えました。しかし何が善といえるのか、悪とはなにか、ハッキリとはわかりません。
そして大学に入って哲学の勉強をし始めました。死の問題の解決については私自身とても興味をもちました。
このようにいろいろと考えてきた中で、歎異抄で教えられる、善人と悪人の内容や、煩悩もさわりとならない無碍の一道の世界が説かれていることを知った時、衝撃をうけました。
私が考えてきたことの答えが、仏教にあると思いました。
仏教を聞き続けようとおもったのはなぜ?
当時お世話になった講師の方や法友との縁がとても強かったので、聞き続けられたように思います。
また弁護士の方や医者の先生など、一流の仕事をされている人もたくさん仏教を聞き学ばれていましたので、仏教にはなにか深いことが教えられていると思い、聞き続けました。
学んでいくと段々と教えの深さが知らされ、論理的に考えたら否定ができない教えばかりで、もっと深い話を聞き続けたいと思いました。
大阪会館について、どう思いますか?
大阪会館はリフォームではなく、一から建てた会館で、聞法会場として建設されたので、聞法に最適な空間だと思います。
柱がじゃまになるようなこともなく、広くてみんな一堂に介して聞法できるのは有り難いです。
また「信心決定」の大額を見るたびに、いつも聞法の目的を確認させていただけるのも嬉しいです。
もっと足を運びたいと思います。
編集後記
Shibaさんは、いつも親鸞聖人の教えを深く学ぼうと努力されており、質問すると、とても詳しく教えてくれます。
自らの経験から、コツコツ努力する大切さや、できるまでやり切る粘り強さを学び、因果の道理を教えていただいたことで確信をもって種を撒けるようになったと言います。
聞法のために建てられた浄土真宗大阪会館で引き続き共に聞法させていただきましょう。
大阪会館でShibaさんを見かけたら、ぜひ声をかけてくださいね。