今回は、大阪の親鸞学徒、櫻井八代江さんを紹介します。
プロフィール
櫻井さんは、昭和46年3月、現在の、島根県邑智郡美郷町都賀本郷で生まれました。
美郷町都賀本郷には、日本百景として知られ、広島県にまでのびる中国地方最大の一級河川「江の川(ごうのかわ)」が流れています。
八代江さんの名前は、この江の川に由来し、江の川のように末長く(八つの代を超えて)幸せになるようにという意味が込められています。
都賀大橋と江の川
都賀本郷には、美郷町に14本ある橋の1つ、都賀大橋がかかっており、住民たちが江の川を越えるための歩道付きの道路橋となっています。
トラスドランガー橋(吊材に斜材を用いた形式)で造られているのは、ここだけのようです。
江の川では、鮎が有名で、周辺ではアユ釣りの体験や、鮎料理が堪能できます。
近年では漁獲量がピーク時から激減し、鮎を復活させる取り組みをしていました。
江川漁業協同組合が、天然魚を増やすため、産卵期の10月半ば以降は禁漁を行い、成熟した親アユの放流を2021年秋から初めて実施。
鮎の産卵は順調に進み、多くの仔魚(骨格や鰭などの基本的な体制を整えた稚魚となるまでの段階)が河口へ下りました。
すると、2022年には江の川下流の浜原ダム(美郷町)を管理する中国電力東部水力センター邑智土木課の調べで、2022年の遡上数は約32万9千匹となり、2021年の952匹の300倍以上、2012年の約40万6千匹以来の高水準に戻ったといいます。
鮎の復活までには何度もシンポジウムを行い、試行錯誤を繰り返しており、住民の絶え間ない努力の結果が実を結んでいます。
ほかにも豊富な水をいかした農業も盛んに行われています。
このような自然豊かな土地には、昔から「石州門徒」と呼ばれる親鸞学徒がいました。
石州門徒
島根県の親鸞学徒は、「石州門徒」として知られています。
石州の由来は、島根県にはかつて「石見国」が存在し、その略称が「石州」でした。
浄土真宗が島根県西側の石見地方に伝わったのは、天正年間(1573年から1592年頃)以降、もしくは石山合戦(1570年から1580年)以降のようです。
石山合戦の際に、本願寺門徒軍に向けて、毛利軍が中国地方から食糧物資の調達を行いました。この際に物資を保管するために、岡山県から広島県(芸備地方)にかけて広く本願寺末寺が建てられ、「安芸門徒」の真宗地帯が形成されました。
石見地方が安芸門徒地帯に隣接していたことから、徐々に安芸門徒が石見地方に浄土真宗を伝え、彼らは「石州門徒」と呼ばれるようになったのです。
江戸時代には、この地域から真宗学僧を多数輩出するほど、親鸞聖人の教えを深く研鑽する寺が多くありました。
また有福の善太郎(山口善太郎)や石見の才市(浅原才市)など、有名な石州門徒として知られる親鸞学徒が数多く現れ、彼らは熱心に浄土真宗の教えを伝えました。
こうした仏縁深い土地に生まれた櫻井さんについて、まずは家族について紹介します。
どのような家族ですか?
家族構成は祖父、祖母、大叔父(祖父の弟)、父、母、姉(夭逝)、長男(8才差)、次男(4才差)、私(八代江さん)の9人家族です。
父
父とは特に仲が良かったです。
昭和4年3月生まれの父は、農家と土木の仕事に従事していました。夏には川で鮎を釣って家計を支えてくれました。父は体力もあって、働き者でした。性格は職人気質で亭主関白。母がいないと自分の着替えすらわからないほどでした。
しかし、父は娘に対して非常に優しく、91歳で亡くなるまで大人になってもずっと仲良しでした。
母
母は穏やかな性格で、父の小言をずっと受け入れるような人でした。優しい一方で、教育ママでした。塾やソロバン、習字などを学ばせてくれましたが、私は特に塾には行きたくありませんでした。
どうしても塾に行きたくなかった私は、塾の時間には工事現場のトラックの上で空を見上げながら、そのまま寝て、終わった頃に家に帰っていました。もちろん、塾からは連絡があり、母からは怒られましたが、最終的にはお金の無駄になると判断されて塾は行かなくてもいいことになり、安心しました。
習字はしばらく続けていて、今でもたまに書くと褒められます。
長男・次男
二人の兄も年が離れていたため、可愛がってくれました。
いまでもライングループで、兄弟仲良く近況を報告しています。
子供の頃の両親との思い出
子供のころの両親との思い出は、あまりないですね。
農業をやっていたので、どこにも連れて行ってもらえませんでした。
「雨が降ったら遊びに連れて行く」と言われていましたが、雨があまりふらず、タイミング良く雨が降っても連れて行ってもらえなかったように思います。
なので空を見て過ごすことも多かったです。
どういう子供でしたか?
今と一緒かもしれません。
ずっと動き続けていて、おてんば娘でした。
小学校4年生の時に、「性格が明るいから」ということだけで誘われて、バレーボールを始めました。
小学校5年生から高校3年生までは剣道をやりました。
友人関係は特定のグループに属するタイプではなく、同じ友達とずっと一緒にいるわけではありませんでしたが、たくさんの友人がいました。
でも小学校3年生か4年生の5月頃、どうしても辛くてしんどくて、自殺を考えたことがありました。
今となっては辛かった理由は思い出せませんが、子供は子供ながらに悩みがあり、とても虚しかったんだと思います。
家族とも仲良く、友達もたくさんいましたが、外見からは伝わらない強い虚しさを感じていました。
誰ともわかりあえず、心が通じ合えず、どれだけ誰かと一緒にいても、孤独な感じがしました。
そのような孤独感を振り払うように、ずっと動き続けていました。
どこに就職しましたか?
高校3年生まで島根県に住んでいましたが、卒業後に神戸で就職しました。
最初の頃は神戸に来てからずっと泣いていて、ずっと島根に帰りたいと思っていました。
社員寮に住んでいたこともあり、相部屋で自分の自由な場所が狭く、この生活を抜け出したくて仕方がありませんでした。
職場を変えることは難しかったので、とりあえず夜には外泊届けを提出して、当時の町をさまよって遊び歩いていました。
この時、悩み事をよく相談していたのが、同じ職場の先輩であるみきちゃんでした。彼女は今の旦那のお姉さんです。
みきちゃんが弟を紹介してくれて、今の旦那とお付き合いが始まりました。
そして、神戸で6年間働いた後、結婚することになり、寿退社しました。
その後は子どもにも恵まれましたが、色々な試練もありました。
詳細はまた個人的に聞いてください。
最近の趣味はなんですか?
最近は方眼ノートを使って思考を整理し、目の前の課題に取り組むことを楽しんでいます。
このノートを使うことで、自分が本当にやりたいことや現在の問題を客観的に見ることができ、思考の整理にとって便利です。
成長を実感できることが嬉しいので、方眼ノートを使った思考整理は楽しみながら続けていきます。
また、知人や友人の婚活サポートも積極的に行っており、結婚したカップルも複数いますので、ぜひ皆さん相談してくださいね!
仏教を聞きはじめたきっかけは?
最初から話すと、40歳のときに、娘と一緒にレゲエ(ジャマイカで成立した音楽)のライブに水着で行くことを決意し、ダイエットをはじめました。
一人でダイエットを続けるのは難しいと感じ、当時流行っていたミクシーでダイエット日記を始めました。そこで知り合った方が親鸞聖人の教えを聞いており、詳しく話してくれました。
その方の紹介で親鸞聖人の教えに触れ、特に「人間の実相」の譬え話の後半「黒と白のねずみ」の内容に感動しました。
仏教で一番関心があった内容は?
「人間の実相」の譬え話の後半「黒と白のねずみ」の内容です。
(譬え話と内容について詳しくは、以下の記事をお読みください。)
最初に聞いたときのことは今でも覚えていて、難波の会場でした。
息子たちがレゲエファンで私もレゲエが好きだったところに、「レゲエ好きの社長の会社で仏教の勉強会をする」と案内があったので、喜んで参加しました。
人間の実相の話を聞かせていただき、白と黒のネズミの話を聞いて、「自分も断崖絶壁からいつ落ちてもおかしくない」と知らされました。
それまで創価学会の学会員であり、仏教の話は聞いてきたつもりでしたが、「こんな話はじめてや」と感じました。自分には後生の一大事があることを初めて知った瞬間でした。
私はずっと創価学会で仏教を学んでいて、これまでの時間は無駄だったように思ったこともありましたが、親鸞会の講師から「他の人は通らなくていい道かもしれんけど、やえさんには必要な時間だったんだよ」と言っていただき、とても心がスッキリしました。
しばらくして創価学会へ行くことを辞め、親鸞聖人の教えを家族や友人に伝えたいと思うようになりました。
仏教を聞き続けようとおもったのは?
とにかく親鸞聖人の教えの一つ一つに感動しました。
毎日のように教えを聞いていくと、なぜ法華経ではなく大無量寿経が出世本懐のお経なのかなど、疑問が解決していきました。
私の実家のある島根県は浄土真宗が盛んで、実家も浄土真宗の家でありながら、親鸞聖人の教えは一度も聞いたことがありませんでした。
これまで浄土真宗の教えと縁があったけれど、聞くことができず、やっと聞かせていただけたと思いました。
昔からニーチェなどの哲学や名言集など、人生の本質に触れていそうな話が好きで、今思えば本当の人生の目的を探してきたように思います。
親鸞聖人の教えに人生の目的が教えられていることがわかり、本当に嬉しく思います。
親鸞聖人の教えを聞くようになり、みきちゃん(お義姉さん)からは私の性格が変わったと言われました。
今ではみきちゃんも仏教を聞かせていただいています。
大阪会館についてどう思いますか?
大阪会館を建立できる土地が見つかったとき、とても嬉しかったです。
毎日使わせていただきたいと思います。
自分たちのホームであり、誰とでも一緒に大阪会館にいき、聞法したいと思える場所です。
数年前までは、大阪会館で月に2回の教学勉強会などを主催していましたので、また開催できるように頑張ります。
今後の抱負
私よりももっと若い人に、親鸞聖人の教えを聞いて欲しいと思っています。
自分と同じように親鸞聖人の教えを聞いて、感動し、明るく元気に教えを学びたいという人に、親鸞聖人の教えを届けていきたいです。
編集後記
櫻井さんは、様々な人生経験を経て、やっとたどりついた親鸞聖人の教えに感動され、今も聞法をされながら一生懸命教えを学び、また仏教の勉強会を主催されています。
ダイエットも、ミクシーも、レゲエも、創価学会も、何か1つ欠けていても、親鸞聖人の教えに出会えなかったかもしれません。
仏縁の不思議さを改めて知らされました。
櫻井さんと一緒に教えを学びたいという人も、何かお話したいという人も、浄土真宗大阪会館で櫻井さんを見かけたら、積極的に声をかけてみてください。