56歳 蓮如上人の河内布教(慈願寺・西証寺)

今回は、大阪での蓮如上人のご布教についてご紹介します。

蓮如上人は43歳の御年(1457年)に法主の座を継がれ、目覚ましいご布教が始まりました。

京都での布教にとどまらず全国でご布教なされていますが、56歳(1470年)のとき、大阪の河内方面で布教活動の記録が残っています。

1471年から布教の拠点を福井(吉崎御坊)に移されましたので、その前年となります。

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慈願寺での布教

現在の八尾市にあたる久宝寺村(地図参考)で、蓮如上人が布教をされる際に拠点とされたのが「慈願寺」という寺です。

旧久宝寺村付近の地図

慈願寺の始まり

慈願寺を開基したのは、親鸞聖人二十四輩の1人である「信願房法心」です。

信願房は、親鸞聖人の関東布教のときにお弟子となり、二十四輩の13番目に数えられます。

親鸞聖人が関東から京都に戻られる時に共に上洛し、終始仕えました。

そして親鸞聖人がお亡くなりになった後、聖人の遺命を受け、久宝寺村に慈願寺を開いたと言われています。

蓮如上人のご布教

蓮如上人が慈願寺を拠点にされたのは、親鸞聖人の直弟が開かれた寺であったことも理由にあったと思われますが、布教の際に重要な場所になると判断されてのことでしょう。

蓮如上人のご布教はすさまじく、慈願寺でのご布教で「帰するもの市の如し」(参考:八尾市史,1958(昭和33)年発行)と記録が残っており、浄土真宗に帰依する人たちが押し寄せてきたことがわかります。

その後、蓮如上人は聖徳太子が開いたとされる久宝寺跡に「西証寺」を開き、11男の実順が住持しました。

ここが河内での布教の拠点となるとともに、久宝寺寺内町が形成され、交易も盛んに行われました。

西証寺は後に、顕証寺となっています。

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