蓮如上人から九州へ伝わる親鸞聖人の教え

今回は、九州の寺院縁起を紹介し、浄土真宗が九州に伝わるルートの一つに、大阪があったことを紹介します。

目次

浄土真宗が九州へ伝わった時期

今日、九州も浄土真宗寺院は数多く、福岡県で40%以上、熊本県で50%以上、鹿児島県は60%以上が、浄土真宗の寺院です。

浄土真宗がどのようにして九州へ伝わったのかを記録された資料はかなり少なく、わからないことが多いです。

しかし各寺院に残る御本尊の裏書きや寺院縁起、その他の歴史書などの記録をもとに、伝えられたルートが研究されています。

本願寺10代目証如上人の書き記した『天文日記』には、九州から親鸞学徒が大坂御坊へ参詣し、懇志を納め、寺内の施設・諸役の駐在・勤務、警備などにあたった記事があり、本願寺9代目実如上人、証如上人のときに、九州へ多く広まった形跡がありますが、本願寺8代目蓮如上人が、すでに九州に親鸞聖人の教えを伝えられたと言われます。

では、どのようにして九州に伝えられたのでしょうか。

九州への真宗伝播初期

九州へは最初、親鸞聖人のお弟子であった荒木源海の流れを組む荒木門徒などの仏光寺派門徒や、下野国(栃木)の高田門徒といった高田派によって浄土真宗が伝えられた形跡があります。

仏光寺派や高田派の門徒衆が、東九州沿岸部の港や瀬戸内海の港を利用して九州におとずれたり、九州へ移住する中で、寺院ができていきました。

蓮如上人の代まで浄土真宗の最大宗派だった仏光寺派が九州でも多かったようですが、蓮如上人が大坂御坊(石山本願寺)を建立された前後から、九州へ本当の親鸞聖人の教えが伝わるようになります。

蓮如上人を慕う人々が九州へ伝える

親鸞聖人の教えを九州へ伝えたのは、蓮如上人をお慕いした、当時の親鸞学徒でした。

蓮如上人の大阪でのご活躍や、九州の寺院縁起をもとに、いくつか紹介します。

最初は、仏光寺の経豪の活躍についてです。

仏光寺経豪の帰依

九州布教で大きな役割を果たしたのが、仏光寺の経豪でした。

経豪は、仏光寺の住職でありながら、蓮如上人とともに親鸞聖人の教えを布教し、後に本願寺へ帰依したあと、興正寺を開きました。

経豪については、以下の記事をお読みください。

九州では仏光寺派の寺院が多数ありましたが、経豪が本願寺に入ったことにより、経豪を慕い本願寺派となった寺があったと言われます。

次に、大分を中心に活躍されたお弟子を紹介します。

専想寺の天然浄祐

専想寺の寺伝を紹介します。

専想寺を開いたのは天然浄祐と言われます。

天然浄祐は山口県出身で、もともとは禅宗の功山寺で得度し僧侶となりましたが、上京した後に京都黒谷金戒光明寺で浄土宗鎮西義を学び改宗しました。

改宗後は豊後国(大分)を拠点に、山口や大分、福岡で浄土宗を布教をしていましたが、山科本願寺に訪れた際に蓮如上人と法論し、法徳に服してお弟子となりました。

法然上人が教えられた阿弥陀仏の本願の真意を親鸞聖人の教えを通して知ったからです。

法然上人と親鸞聖人の教えの関係については、以下の記事をご覧ください。

その時蓮如上人から法名として「浄祐」の名をいただきました。

その後蓮如上人の元で3年学んだあと、蓮如上人の命を受け九州布教を行いました。

1496年に大坂御坊に再度訪れたときの感動を次のように記しています。

門弟アヒ具して本山に参詣の時、蓮如上人法流御繁盛の様、御感喜あさからず

引用:森町村専想寺ノ縁由

意味:(天然浄祐が)弟子を連れて大坂御坊へ参詣した時、蓮如上人が伝えてくだされた親鸞聖人の教えをあまりに多くの方が聞き学んでおり、喜びと感動がこみ上げました。

その後、天然浄祐は、蓮如上人自筆の御名号百幅を与えられ、九州へ戻り、親鸞聖人の教えを伝えました。

次に、福岡で活躍したお弟子を紹介します。

長教寺の明善

次に、福岡にある長教寺の寺伝を紹介します。

長教寺の開基は明善といいます。

明善は、明応年中(1492年?1502年)に京都へ行きました。

そのとき山科本願寺で蓮如上人から親鸞聖人の教えを聞き、感動し、蓮如上人のお弟子となった天然浄祐に師事しました。

その後、蓮如上人から直筆の御名号を授かり、九州へ戻り親鸞聖人の教えを伝えたということです。

永照寺の道證

北九州にある永照寺の開基は道證といいます。もともとは村上大炊允道定という名で、豊前国(現在の福岡県)の蓑島の城を守る武将でした。

しかし応仁の乱に加わり、摂津国の川中島の戦いで負傷しました。そして仏照寺で療養中、蓮如上人と出会い、親鸞聖人の教えを聞き、お弟子となりました。

その後、1495年9月28日に本願寺実如上人から本尊を下付されて九州へ下向し、当時はまだ寒村だった小倉津(現在の北九州市小倉)に草庵を構え、九州で親鸞聖人の教えを布教しました。

覚永寺の開基

福岡組(ふくおかそ)覚永寺の縁起を紹介します。

覚永寺は、もともと秋月(福岡県朝倉市の秋月城近く)にあり、城主の一族が開基しました。

開基の僧侶は、もともと武士でしたが、戦国時代の有為転変の世相と、秋月城が落城したことにより本家が没落したことで諸行無常を強く感じました。

本当の変わらない幸福を求めたところ、蓮如上人の噂を聞き、京都で蓮如上人のご説法を聞き、その後、蓮如上人に帰依し、僧侶となりました。

蓮如上人が、西国への布教を願われていたので、親鸞聖人の御影と蓮如上人がお書きくだされた六字御名号を奉持し、故郷の栗田村に帰り、覚永寺を建立し、御名号を御本尊として、もっぱら近隣の人に親鸞聖人の教えを伝えました。

編集後記

寺院縁起は、実際の資料と辻褄が合わなかったり、明らかに事実と違うこともありますが、当時の人たちがどのようなことを願っていたり、信じていたのかを知る手がかりとなります。

今回の寺院縁起では、当時の九州の親鸞学徒が、蓮如上人をとてもお慕いしていたことや、御名号を大切にしていたことがよくわかるのではないでしょうか。

親鸞聖人、蓮如上人、先輩の親鸞学徒が大切に伝えてくだされた阿弥陀仏の本願を、これからも浄土真宗親鸞会大阪会館で聞き学ばせていただきましょう。

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