【学徒インタビュー】ナツさんを紹介

今回は大阪の親鸞学徒、ナツさんを紹介します。

目次

プロフィール

ナツさんは、1974年11月、大阪府羽曳野市に生まれました。

ナツさんの育った羽曳野市は、令和元年に大阪で初めて世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」のうち、古市古墳群があります。

出典:百舌鳥古市古墳郡HP


またぶどうの名産地で、河内ワイン館などの観光名所もあります。

奈良時代になると、この地域は仏教文化の重要な場所になりました。

難波宮と飛鳥京をつなぐ竹内街道ができ、交通が便利になりました。

そのおかげで、西琳寺や善正寺など、多くのお寺が次々と建てられ、この地域は仏教が広まる中心地の一つとなったのです。

親鸞聖人と羽曳野市

羽曳野市にある「真蓮寺」は、寺の言い伝えによると、元々「蓮花台寺」という名の真言宗の寺院でした。

暦仁元年(1238年)、親鸞聖人65歳の時、聖人は磯長の聖徳太子廟所を参拝する途中で、この寺に立ち寄られました。

そのとき、寺の住職だった覚円が親鸞聖人から阿弥陀仏の本願を聞いたところ、大変喜び帰依しました。

親鸞聖人は覚円に「善念坊」という名を与え、寺は浄土真宗に改宗したと伝えられています。

世界遺産や文化遺産が数多く存在し、仏縁深い土地に生まれたナツさんは、どのようにして親鸞聖人の教えを聞き学ぶようになったのか、インタビューをしていきます。インタビューをしてきます。

どのような家族ですか?

(ナツさんの回答)

私の子どもの頃の家族構成は、両親、長女、長男、次女(私)の5人家族で、私は末っ子でした。

父は会社員をしていて、「THE 昭和」という感じの、気難しい、亭主関白気質のような人でした。

父の近くにいると、いつもヒヤヒヤしていたように思います。

母は、根底に優しさがありつつも、厳しい人でした。

両親からは、私が一番育てにくかったと言われたことがあります。

自分は三人兄弟の中で、一番友達がいなくて、常に一人で過ごしていたので、両親はとても心配していました。

両親があまりにも心配して、私と一緒に、地域の子ども達と一緒に雪の中を登山する行事に参加したのは、楽しい思い出でした。

他にも両親が休日のときには、家族旅行に連れて行ってくれましたが、比較的サバサバした家族だったように思います。

姉とは6歳、兄とは5歳、年齢が離れていたので、あまり一緒に遊んだり、長く接したりすることはありませんでしたが、姉が初めてのアルバイトで入ったお給料で、誕生日プレゼントをくれたのは嬉しかったです。

どのような子どもでしたか?

(ナツさんの回答)

小さい頃から、他の子どもたちとは違っていて、ずーっと一人でいたい子どもでした。

周りの子どもは、みんな仲良く遊んでいるんですが、私がそこに入っていかないので、ずっと親が心配していました。

小学校のときは、スイミングに通っていて、中学校では、陸上部で100メートルや200メートルの短距離走をしていました。

チームプレーよりも個人競技を選んでいました。一応クラブでの付き合いはしていましたが、あまり長く友人と接することはありませんでした。

一人のときは何をしていたかというと、少し年の離れた姉がいたので、家にCDやファッション雑誌などがいろいろあり、それをずっと読んだり聞いたりして、楽しんでいました。

一人でいた理由

今思えば親が厳しかったのもあり、素の自分を出してはいけないと考えていました。

ずっといい子と思われるようにしなくちゃいけないと。

無理に笑顔でいたから「いつもニコニコと笑っているよね」と言われるようになっていました。

無理して笑わなくてもいいとは思うんですが、それができませんでした。

なので、みんなといると疲れてしまって、やっぱり一人を選んでいました。

でも本当はとてもさみしかったです。一緒に楽しく遊びたいという思いはありました。

ずっとみんなが羨ましいと思っていました。

それでも友達の輪の中に入っていけませんでした。

高校生

高校生になってからは、少し周りの人たちの輪に入れるようにはなって、自分がいてもよさそうなグループを選んで、交流するようにはなりました。

それでも素の自分は、あまり出せず、部活などもせずに、学校と家の往復でした。

3年間毎日同じルーティンを過ごしていて、「なんで毎日学校いくんやろうー」って毎日考えていました。

ただただ生きていて、「なんで勉強するの」とか「人生がさみしいのはなぜ」とか「毎日同じ繰り返しに意味があるの?」という問いが脳裏に浮かんでは、答えの出ないことが辛かったです。

でも高校生が終われば、もっと生きやすくなるだろうと期待はしていました。

進学

(ナツさんの回答)

私はなんとなく、英語が好きで、英語だったら打ち込めるかなと思って、短大に進学し、英語を学びました。

学生の時は、アルバイトができて、お金も得られるようになったので、難波でアルバイトしては、友だちと遊ぶ、ということを繰り返していました。

高校生までとは違って、飲み会やカラオケの刺激はとても心地よく、「楽しいことをいっぱいしたい!」という気持ちになりました。

みんなでわいわい盛り上がっていたら、もう「なんで勉強するの」とか「人生がさみしいのはなぜ」とか「毎日同じ繰り返しに意味があるの?」とか考えなくてよくなり、楽になりました。

「なぜ生きる」の悩みを真面目に考えていても、答えが出ないので、楽しいことだけを考え、難しいことは考えないようにすることがいいことのように思っていました。

就職

(ナツさんの回答)

英語を学んでみましたが、仕事にしたい!とは全く思わず、経理の仕事につきました。

社会人になっても、これがしたい!ていうものが見つからず、自分が何を頑張ればいいのかわかりませんでした。

「これを頑張ったところで何になるんだろう」とずっと考えて、むなしくなりました。

社会人を一度やめて、作業療法士の勉強をしました。

しかし、やはり本気で打ち込めることではありませんでした。

そこで私の考えは変わったのです。

社会には何もなかったのだから、家族にこそ幸せが待っているはず!

と。

結婚と別れ

(ナツさんの回答)

幸せな家庭生活を夢見て、結婚と出産をがんばろう!

と思いました。

そして結婚して、子どもも生まれました。

手に入れたときは、今までで一番と言っていいほど、どれも幸せで、充実していました。

しかし数年経つにつれて、だんだんと幸福感がなくなっていったのです。

それでも「未来に幸せがあるから」と思って、私なりにたくさん頑張りました。

しかしこれまで綺麗で輝いていたものが、本当に色褪せていく感じがしていきます。

「あれ?あれ?こんなはずじゃない。こんなはずじゃない。

幸せになりたいのに、なぜ?幸せを手に入れたときの嬉しさはどこにいったの?

なんでみんな崩れていくの?」

そして、そんな生活に耐えきれなくなり、とうとう離婚をしてしまいました。

仏教を聞いたきっかけは?

(ナツさんの回答)

離婚して数年苦しい日々を過ごしていました。

いろいろ勉強会に彷徨っていっては、どうしたら幸せになれるのか、考えていました。

むなしさを感じながら、哲学的な本を読んでみると、生きていることが素晴らしいんだよという本ばかりでした。

そうかなー?と思いながらも、先祖のおかげで自分があるんだから、先祖に感謝したいと思い、また仏教も学んでみたいと思うようになりました。

そこで父方のお墓が京都の大谷祖廟にあったので、京都に向かいました。

その時、はじめて親鸞聖人のパネルを見て、親鸞聖人を知り、教えを聞きたくなりました。

当時は、親鸞聖人についてほとんど知りませんでしたので、「仏教」というキーワードで検索したところ、一番最初にひらいたページが、親鸞会のホームページだったのです。

オンラインで教えを学べるということだったので、さっそく申し込んだところメールが届き、大阪の講師の方を紹介してくださるということでした。

そこで初めて新谷先生を紹介していただき、親鸞聖人の教えを聞き学ぶことができたのです。

仏教・親鸞聖人の教えで一番関心があった内容はなんですか?

(ナツさんの回答)

「人間の実相」が一番心に残りました。

最初に聞かせていただいたときの感想は、とてもほっとした気分になりました。

私は、自分自身を綺麗に見せないと生きていてはいけない、と思っていたので、人間はみんな煩悩具足の凡夫であり、さみしい心を抱えていることを知り、ずっと抱えていた気持ちは、私だけじゃなかったんだと思えたからです。

生きてきてはじめて、自分にそのままでOKと言ってもらえた感じがしました。私の心がわかってもらえたように思い安心しました。

そしてこれは真実の教えだと知らされ、後生の一大事を解決したい、本当の幸せになりたいと思うようになりました。

仏教を聞き続けようと思ったのはなぜ?

(ナツさんの回答)

仏教を聞いたすぐは、教えていただいたことを実践しようと思うけども、
家に帰ったら、全くできない自分がいます。

まさに「寺はてるてる 道々くもる 家に帰れば雨風じゃ」ですね。

ですので、仏教の水に、私が浸からなければならないといつも思っています。

また親鸞聖人の教えは、とても深いので、何度も何度も聞かせていただき、もっともっと理解を深めていきたいと思います。

私はこれまで人間について知りたかったのだと思います。

ここに人間の本当の姿を教えてくだされている!とはじめて思いました。

いろいろな勉強会に行きましたが、生き方のノウハウばかりで、私が何のために生きているのか、の答えは親鸞聖人の教えにしかありません。

ずっと知りたかった教えにやっと遇えました。

あの虚しかった時代には、もう戻りたくありませんので、私はずっと親鸞聖人の教えを聞き続けたいです。

大阪会館について、どう思いますか?

大阪会館は、はじめて話を聞いて、1ヶ月後くらいに参詣しました。

親鸞聖人の教えを求める人がたくさんいて、ここは大事な場所なんだとすぐに思えました。

いろいろな法友との出会いがありますので、私達の地元の会館はとても大事です。

私も今崎先生や櫻井さんと初めて会えた場所でした。新谷先生とも直接お会いできたのも大阪会館でした。

一人じゃとてもとても求道できないので、法友がたくさんいる大阪会館はとても大事です。

今後の抱負

新しい仕事を始めてみたんですが、時間も体力ももっと仏教に使いたいと思っています。

「もっと仏法につかりたい」と思っていますので、将来は、仏教に直接関われるようなお仕事ができるように、これからがんばります。

編集後記

蓮如上人の御一代記聞書の中に、以下の教えがあります。

人の、こころえのとおり、申されけるに、「わがこころは、ただ、かごに水を入れ候うように、仏法の御座敷にては、ありがたくもとうとくも存じ候うが、やがて、もとの心中になされ候う」と、申され候う所に、前々住上人、仰せられ候う。「そのかごを水につけよ」と。わが身をば法にひてておくべきよし、仰せられ候う。万事、信なきによりてわろきなり。善知識の、わろきと、仰せらるるは、信のなきことをくせごとと仰せられ候う事に候う。

引用:「御一代記聞書」

意訳:ある人が、その心のままに打ちあけて次のように言いました。「私の心は、まるでただ籠のなかに水を入れたようで、仏法を聞く会場に居るうちは、有り難いとも尊いとも思うのですが、その会場を退出すると、すぐにもとの心根に戻ってしまう」と申し上げたところ、蓮如上人は仰られました。「その籠を水につけなさい。わが身を仏法のなかにひたしておきなさい」と仰せられました。「思うに、すべてのことは、信がないからこそわるいのである。善知識がわるいと仰せられるのは、信のないことを好ましくないことと仰せられたことである」と仰せになりました。

親鸞聖人の教えを知る前と、知った後では、自分の人生が大きく変わり、本当に嬉しいと言われるナツさん。

真実の教えを知った喜びを胸に、籠を水につけるように常に真実の教えを求め、そして今生で必ず人生の目的を達成したいと、真剣に仏法を聞き学んでいます。

ナツさんは浄土真宗親鸞会大阪会館にもよく参詣されていますので、見かけたらぜひ声をかけてくださいね。

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