【学徒インタビュー】Moさんを紹介

今回は、大阪の親鸞学徒、Moさんを紹介します。

目次

プロフィール

Moさんは1993年9月に、神奈川県の横浜で生まれ育ち、小学2年生のときに東京に引っ越しました。

生まれ育った横浜市緑区の特徴は、横浜市の中でも緑が多く、マスコットキャラクター「ミドリン」のデザインにも反映されています。

ミドリン

横浜市の統計によると、緑区の緑被率は第1位となっています(令和元年度)。緑被率は、空撮した写真から、300平方メートル以上の緑地の面積を目視で特定し、その面積が市全体の面積に占める割合を計算したものです。

神奈川県は親鸞聖人のお弟子が活動した場所でもあり、二十四輩に選ばれる信楽房の開基とされる寺があります。

信楽房とはどのようなお弟子だったのでしょうか。

信楽房について

信楽房の俗姓(出家する前の名前)は、相馬三郎義清です。

相馬氏の祖先は、鎮守府(中世の東北地方を統治する役所)に仕えた村岡五郎良文の系統です。

鎮守府の千葉介常将の4代目の孫にあたる千葉常胤(つねたね)の実子が、相馬二郎師常(もろつね)と言いました。

2人は源頼朝の軍に従って軍功をあげたことが鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』に記載されています。父の常胤が亡くなった後、師常は世の無常を感じ、法然上人のお弟子となりました。

その相馬二郎師常の息子が、相馬三郎義清であり、つまり信楽房は武家出身の僧侶ということになります。

義清(信楽房)は出家前、下総国の大守の任をもち、「新堤」(現:茨城県結城市あたり)に住んでいたといいます。

そして建暦二年(1212年) 関東に入った親鷲聖人がご布教をなされようとされている頃、義清は、守り本尊である薬師如来の霊告を受け、親鸞聖人とお会いし、教えを聞いてすぐにお弟子となりました。

その時に賜った法名が信楽房です。

自宅を改造して一寺を創建し、親鸞聖人の教えを伝えました。

親鸞聖人から大変可愛がられていたと言われています。しかしある時、驚くべき事件が起きてしまいました。

信楽房の事件

信楽房は、関東の二十四輩と言われるほど親鸞聖人のお弟子の中でも重要な人物であり、親鸞聖人から直筆の御本尊やお聖教を拝受するほどでした。

信楽房も親鸞聖人を厚くお慕いしていましたので、親鸞聖人が関東から京都へかえられた後、関東に残らず京都に移動し、引き続き直接親鸞聖人から教えを聞いていました。

深い御心をかけていただいていましたが、ある時、法文の解釈について親鸞聖人に反発し、京都から故郷の関東へ去ってしまいました。

この事件について詳しくは、以下の記事をお読みください。

その後、信楽房は、関東に戻りましたが、大変後悔していました。

晩年に本願寺第3代目、覚如上人が関東で布教せられたときに面会を果たし、若き頃の非を詫びて浄土真宗に復帰したと言われています。

そのため今でも関東の二十四輩として、信楽房の名前があげられています。

それでは、親鸞聖人の沢山の直弟子が活躍する関東で生まれ育ったMoさんは、どのような人なのか、インタビューをしていきます。

どのような家族ですか?

(Moさんの回答)

父、母、長男(Moさん)、次男の4人家族です。

父のこと

父は読書好きで、頭が良く、クレバーな人です。ユーモアかつ、威厳もあります。

教育業界で働いた後に、出版業界に転職すると、朝から深夜まで働いているような人ですが、仕事ばかりというわけでもなく、子どもの人生にもとことん向き合ってくれて、一緒に考えてくれました。

私たちがやりたいことは何でも挑戦させてくれて、甘えさせるわけでもなく、幸せな子ども時代だったと思います。

自慢の父です。

いま私は教育業界で働いていますが、父の影響で、教育業界に興味をもったのかもしれません。

父との思い出

今でもすぐに思い出す父との思い出は、2人で公園にサッカーをしに行ったときのことです。

私が公園にあった柵をまたがって越えたところ、父が呼び止めこういいました。

「お前は、柵をジャンプして越えられないのか?ジャンプして越えてみなさい。」

ジャンプで越えるイメージ画像

するとサッカーに来たはずが、柵をジャンプして越える練習に変わりました。

私は足が柵にかかる恐怖でなかなか飛ぶことができません。

しかし父は、できるまで諦めさせることなく、やり続け、ついに飛び越えることができたときには私は泣いて喜びました。

父は小さいことでも挑戦することの大切さや、諦めないことの重要さを教えてくれたように思います。

母のこと

完璧に家事育児をこなしていたように思います。

どんなに忙しくても、堕落した生活はせずに、誰よりも早く起きて、子どもたちの弁当を準備し、身だしなみも綺麗に整え、パートもいっていました。

運動好きで、エアロビクスとか太極拳とかヨガとかいろいろやっていました。

今ではヨガのインストラクターをやっています。

忙しい中でも、私たちに優しく接してくれます。

弟(次男)のこと

私と弟は昔から仲が良く、よく喋ります。

弟はとても世渡り上手な生き方をしているように見えます。

世界をバックパックで一周したり、今は音楽活動を一生懸命やっています。

なにかやるたびにいろんな人に可愛がられ、助けられながら生きていて、そういう生き方は自分にはできず、素直に凄いと思います。

どのような子どもでしたか?

思慮深いというか、何でも気になったことはずっと考え込む感じの子どもでした。

ベッドにうつ伏せに寝て、2時間くらいぶっ通しで考えていたこともあります。

人間関係でもめて、ちょっとまずいなーとか、ちょっと悪いことしたなーというとき、いつも心のなかで葛藤します。

何か問題が起きたときに、自分の中で納得する答えを出すまで、考え尽くす性格でした。ネガティブというより、納得した答えを出せるまで考えたかったのです。

小学校、中学校ではサッカーをしており、中学校のときは振り返りのノートを毎日書いていました。納得するまで書きたかったので、毎日1時間くらいかけて書いていました。

振り返りのノートを書いていた割には、サッカーはいっこうにうまくならず、試合前は嗚咽するほど緊張していました。

うまくはならなかったのですが、一度始めたことは最後まで辞めたくなく、高校までサッカーをしてベンチにも入れなかったとしても、応援席から声を出して応援していました。

父から「お前は人間関係の調整役だ」と言われたことがあり、なるべく敵を作りたくない性格が功を奏して、チームのバランスを整えていたように思います。

サッカーをやって学んだことは、チームメートに声をかけるだけで、みんなのモチベーションは上がるということ。悩んでいる人やがんばっている人を見たら、少しでも声をかけて、今より元気づけたいと思います。

サッカーはうまくならなかったので、途中からは勉強を一生懸命しました。やればある程度結果が出たので、勉強のほうにだんだんと熱中していきました。

大学を選んだきっかけは、高校時代の親友が目指していたので、一緒に行きたいと思い同じ大学にしました。

今は、教育関係の仕事をしています。

仏教を聞きはじめたきっかけはなんですか?

高校・大学と同じだった親友のS君が、先に学んでいて、声をかけてくれました。

私は大学に入って、熱中していた勉強が終わり、特にやりたかったことはなかったので、とりあえずボランティアで復興支援の活動をしました。

その時、私は、「何のために生きるのか、何のために復興活動しているのか、復興してこの先どうなるんだろう」ということを毎日自問自答していました。

復興活動といっても何がその人たちにとって本当の復興になるのだろうか、家ができても苦しみは続くし、幸せになれなければ本当に助かったといえない。

このような「何の為に生きていけばいいのか」という疑問を抱いたまま生活をおくっていましたが、ある日、高校・大学と一緒だった親友S君から「その答えがあるぞ」と言われました。

本当にあるのか?あるなら聞いてみようじゃないか。納得しないと気がすまない性格も相まって、仏教を聞き始めました。

仏教・親鸞聖人の教えで一番関心があった内容はなんですか?

歎異抄後序「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界」のお言葉を通して、絶対の幸福と相対の幸福について教えていただいたことです。

真実の自己とこの世の実相を知らされました。

「万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなき」の言葉は、いままでの経験どおり、考えていた通りだと感じましたし、真実が全くないことが言葉でハッキリと教えられ衝撃を受けました。

またその理由も「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界」だからだと明らかに教えられており、大変驚きました。

そして「念仏のみぞまこと」と教えられ、どんなことが真実なのか知りたいと思うようになりました。

仏教を聞き続けようとおもったのはなぜ?

世の中には本当の幸福がなく、阿弥陀仏の本願以外に真実がないと知りましたので、、聞き続けたいと思いました。

私の人生は、家族や友人にも恵まれ、勉強を通して努力する楽しさを知り、本当に幸せな人生で、不思議なくらいとても恵まれています。

しかしこの幸せな人生が永遠に続かない、そらごと・たわごとの世界と知らされたので、この幸せを無駄にするわけにはいかないという思いから、真実とは何か、学ばせていただきます。

なぜ生きるかがハッキリすれば、どう生きるかが本当に大事だとわかるからです。

今の幸せを本当に無駄にしないためにも、聞き続けたいと思っています。

大阪会館について、どう思いますか?

横浜と東京で生まれ育って、大阪には社会人になって初めてきました。同時に、社会人になって本格的に仏教を聞きはじめました。

関西にきて、初めて一人暮らしをして、生活するだけでいっぱいいっぱいのときもありましたが、大阪会館があったおかげで、真実とは何か、聞き続けることができています。

私にとって大阪会館は第二の人生の実家のようなものです。これからも大切にしていきたいと思います。

今後の抱負

浄土真宗、親鸞聖人の教えと聞くと、若者は、古臭く感じたり、聞かなくてもいいと思ったりするかもしれませんので、悪いイメージを払拭できるように話をしていきたいです。

まじで聞かないともったいないんで!

編集後記

Moさんと仏法について話し合うと、とても楽しく、教えが深まります。

教えを丁寧に学んでいて話がわかりやすく、また私の質問も丁寧に聞いてくれて、的確に回答してくれます。

蓮如上人は次のように教えておられます。

仏法は、讃嘆・談合にきわまる。よくよく讃嘆すべき
引用:『御一代記聞書』

意味:仏法では、讃嘆が最も大切です。よくよく話し合って、正しく理解しなさい

大阪会館では、真剣に阿弥陀仏の本願について聞かせていただき、聞かせていただいた内容を法友同士で、どんどん語り合っていきましょう。

Moさんを大阪会館で見かけたら、ぜひ声をかけてくださいね。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

目次