今回は、大阪の親鸞学徒、IYAさんを紹介します。
プロフィール
IYAさんは、1979年7月、大阪府大阪市で生まれました。
4才まで大正区、小4の1学期まで住吉区、高校卒業までは富田林市に住んでいました。
4歳頃まで大正区に住んでおり、その時に乗っていた市バスが好きで、その時の大正区の雰囲気が特に気に入っているということです。
大阪といえば、「お笑いの街」としても有名で、上方落語やお笑いの養成所NSC吉本総合芸能学院などがあり、「笑いの聖地」とも評されます。
大阪のお笑いの起源は、落語にあると言われます。
大阪と落語
落語の起源については、大阪や京都とされています。
大阪では、江戸時代に活躍した米沢彦八という人物が、道端に小さな舞台を作って、自分で考えた話を面白おかしく語り、聞いてくれた人からお金をもらう「辻咄」(つじばなし)や「軽口」(かるくち)というパフォーマンスをしました。
一般的には、この辻咄が、落語の始まりと言われます。同時期に江戸落語を作った鹿野武左衛門も大阪出身なので、大阪から江戸に笑いが輸入されたとも言えそうです。
落語は、浄土真宗ともつながりがあります。詳しく知りたい方は、以下の記事もお読みください。
![](https://osakakaikan.site/wp-content/uploads/2024/02/スクリーンショット-2024-02-08-13.42.23-300x228.png)
この落語から枝分かれして、漫才などお笑いが生まれています。
このように大阪に笑いの土壌があるのは、自利利他の仏教精神が根付いているからとも言われます。
利他の心については、以下の記事もお読みください。
![](https://osakakaikan.site/wp-content/uploads/2022/10/409676_s-300x200.jpg)
大阪と蓮如上人
また大阪は、蓮如上人が晩年まで熱心に親鸞聖人の教えを伝えられた土地で、大変仏縁深い場所です。蓮如上人は、大坂御坊(石山本願寺)を建立し、後に本願寺の拠点となりました。
大坂御坊については、以下の記事をお読みください。
![](https://osakakaikan.site/wp-content/uploads/2023/06/image-300x166.png)
IYAさんはとてもお笑いや漫才が好きで、「M1グランプリ」は必ずリアルタイムで見ると決めているそうです。
友人にM1チャンピオンがいるそうで、優勝した時は、飛び上がるくらい嬉しかったと話されていました。
このようなお笑いの街であり、仏縁深い土地に生まれたIYAさんに、インタビューをしていきたいと思います。
どのような家族ですか?
(IYAさんの回答)
私の家族構成は、父(故人)、母、長男、次男(IYAさん)、三男です。
父のこと
私の家族で、一番個性的で、特徴的なのが父(故人)でした。
父は電気通信事業で有名なN社で定年まで勤め上げましたが、アルコール依存症だったので、出勤前にお酒を飲んだりして母を困らせていました。お酒の匂いをさせてよくクビにならなかったなと不思議に思います。N社には感謝です。
私が物心ついた頃には既にアルコール依存症だったので、子どもの頃から、朝からお酒を飲んだり、外出した時の帰りの道中で必ずワンカップを買ったりする光景をよく見ていましたが、子どもの目にはただのお酒好きなお父さんとしか映っていませんでした。どこのお父さんもそうなんだと思っていました。大きくなって自分の父親は異常なんだと知りました。
アルコール依存症ではありましたが、父のポリシーは「絶対に暴力は振るわない」でしたので、家族が殴られたことはほとんどありませんでした。
父は政治への関心が強く、常に社会問題に目を向けていたように思います。少しでも世の中を良くしたくて動かずにおれないようでした。
私の友達を家に招いたときには、父は友達にも優しく接していました。
父に会った子はみんな「IYAのおっちゃんめっちゃおもしろいなぁ」って言ってました。変なことばっかり言ってるからだと思います。
早くに亡くなりましたが、とても優しい父親でした。会社では愛されキャラで通ってたようです。
母のこと
とてもしっかりしていて、世話がかかる父を、最期まで支えていました。
精神的に強い女性で、息子から見て、母以上に強い女性はほとんど見たことがなく、ベリーストロングだと思います。
学校に遅刻などしようものなら激怒でしたので、道徳的な教育はかなりしっかりとしてくれました。
身体は少し弱いらしく、身体さえ強ければ警察官になりたかったようです。
母は社会問題への関心は強く、生活が満足にできない人の抱えている問題について、どうしたら解決できるか、母とたまに話し合うことがあります。
道徳的な教育は母の指導はすごくありましたが、私の進路や生き方には、一切口出しをせず、自由に決定させてくれました。
あと、料理を作るのは上手だと思います。手際が良いです。
兄のこと
とても尊敬しています。賢く、優しく、小さい頃は兄の考え方や振る舞いをお手本にしていました。野球が好きなのは兄の影響が大きいと思います。
弟のこと
一言でいえば、仕事人間です。バリバリ仕事こなす人で、全然休暇を取らないので、今の勤務先では会社の方から休みを取るようお願いされてるようです。
そんな弟ですが、大の猫好きで猫に限らず可愛いもの好きな一面があります。
昔は会社を経営していて、営業力があります。人当たりがよく、いろいろな人から頼られたり、尊敬されているようです。
子どもの頃の両親との思い出
毎年家族の誕生日は、みんなでお祝いするのが家族の習慣でした。
親の誕生日も子どもの誕生日も皆やっていて、記念日を大事にしていたのは思い出です。
今でも誕生日の日にできるだけ母にプレゼントを渡したりして、お互いにお祝いします。
父との思い出
父とは特別な思い出があります。
私は中学生のときバスケ部に所属していました。
当時の顧問は体罰の多い先生で、バスケは好きだけどこの人の下で3年間は耐えられないと感じ、辞めようかと思っていましたが、親に情けない子どもと思われたくなく、なかなか言い出せなかった時期がありました。
ある日、父親と二人でラーメン屋に行ったときに、父親から
「部活、辞めたいんやったら辞めてええんやで」
と言われました。
父に相談したことはなかったのですが、自分のことをしっかりと見てくれていて、自分の気持ちをわかってもらえていた事に気づき、とても嬉しかったです。
どのような子どもでしたか?
(IYAさんの回答)
テレビゲームも好き、外で遊ぶのも好き、とにかく遊ぶのが好きでした。
遊んでいただけではなく、学校の授業も真面目に受けて、成績も良かった方です。
一方で性格は、内向的で、引っ込み思案で、自分から前にでるとか、目立つようなことはしませんでした。
人生について真面目に考えるようになったのは、小学校3年生のとき。
そのときの担任の先生は女の先生でしたが、おとなしい子やおどおどしている子を毛嫌いする節があり、目を付けられたくなかったので引っ込み思案にもかかわらず積極的に授業で手を上げたりとか無理してました。
でも回答を間違えたりすると、すごく冷たくされました。
とにかく自分の思い通りにならないと機嫌悪くなる先生だったのですごく嫌いな先生でした。そこから嫌な思いをしてまで学校に行かなければならないのかと考えるようになりました。
小学校4年のときに転校しました。転校してからは、少しいじめにあったりして、自殺願望もあったように思います。
中学校のときは、中学一年生でバスケ、中学2年生、中学3年生のときは野球をしていました。
音楽との出会い
高校生になると、部活で短期間スポーツをしましたが、
朝練があったり、夜遅くまで練習したりと、学校嫌いなのに朝から晩まで学校に縛られているのが苦痛で部活は辞めました。
念願の帰宅部でしたが、私の中に夢や目標がなくなったので、心にポッカリと穴が開いた感じでした。
あまりにも時間ができたので、ラジオやCDで、流行りの音楽、JPOPを片っ端から聞いていました。
すると、だんだんと音楽への興味が膨らみ、音楽の道に進みたい思い始め、高校卒業してから音楽の道を選択し、バンドを組みつつ専門学校へ進みました。
音楽でどのようなことを表現したかったのですか?
(IYAさんの回答)
音楽では、とくに「歌詞を書きたい」という思いが強くなり、本格的に音楽の道を選びました。
当時はオウム真理教の事件や神戸の酒鬼薔薇事件、和歌山毒物カレー事件などがあったりして世の中がすさんでいるように感じたり、それ以外にも自殺のニュースとかいろいろな社会問題に触れたりして、苦しんでいる人は世の中に溢れているのだと感じてました。
特に社会的弱者、苦しんでいる人に向けて、心の支えになるような歌を書きたいという想いがありました。
『この歌のおかげに励まされました』みたいな、人の人生に影響を与えたいと思い音楽活動してきました。
音楽でだれかの心の支えになりたいと思っています。
いま振り返ってみると、人生の本質に触れる歌詞を書きたかったのだと思います。
当時は答えはわかっていませんでしたが、
何のために生きているのか、
どんなに辛くてもなぜ生きなければならないのか
このメッセージを訴えたかったように思います。
仏教を聞きはじめたきっかけはなんですか?
(IYAさんの回答)
音楽の専門学校の在学中に、高校の友人の家に呼ばれて、遊びに行きました。
そのとき、友人と人生の目的について語りあったところ、友人が仏教を学んでいることを知り、また仏教に人生の目的が教えられていると聞き、とても関心を持ちました。
友人から内容を聞くと、仏教の教えの深さに驚き、続けて聞きたいと思いました。
仏教・親鸞聖人の教えで一番関心があった内容はなんですか?
(IYAさんの回答)
「すべての人が悪人」という悪人正機の教えが、とても衝撃を受けました。
父が昔、「人間は悪人だ」と似たようなことを言っていたこともあり、それが仏教でも言われていると思い、心に残りました。
教えを聞き続けていくと、親鸞聖人の教えられる悪人の意味や根拠もわかり、仏の智慧で人間の本質が徹底して見透かされていました。
深い意味で全人類が悪人であることを教えていただき、大変驚きました。
あと父母恩重経の親の大恩十種もとても心に残っています。
変わった親ではあるけど、愛情かけて育ててもらったという想いは強いので、この教えは響くものがありました。
この両親の子で良かったなと心の底から思っています。
ちなみに親の大恩十種を題材にした歌をリリースしています。
よかったら聞いてください。
仏教を聞き続けようとおもったのは?
(IYAさんの回答)
先述のように、教えに驚いたことも理由です。
さらに、仏教を学ぶことで生きる目的がはっきりして、音楽を続ける理由や音楽で伝えるべきメッセージがはっきりしたので、仏教を聞き続けたいと思いました。
今では企業紹介やYoutube用の動画編集などの仕事をしながら、音楽も続けており、自分のやっていることで、仏教で教えられる大切なメッセージを伝えていきたいと思います。
アニメバスの運転手もされていましたが、どうでしたか?
(IYAさんの回答)
ご縁があり、親鸞聖人のアニメを上映するアニメバスの運転手をしました。
当時、さまざまな都道府県を運転しました。このときに全国で出会った方々とは、今でも仲が良く、とても良い縁に恵まれました。
アニメバスの仕事は、仕事の時間で聞法ができたので、仏教を学び続ける上でとても恵まれた環境でした。
大阪会館についてどう思いますか?
(IYAさんの回答)
大阪の親鸞学徒が、一同に集える場所ができて本当に良かったと思います。大阪会館が建立されて、だいぶ経つと思いますが
いつ参詣しても綺麗なので、親鸞学徒のみなさんが大切に使われているのだと感心します。
法友と一緒に、仏法を聞き学ばせていただきます。
今後の抱負
(IYAさんの回答)
自分の親や兄弟、友人とも一緒に仏教を聞き学べるように、伝えていきたいと思います。
編集後記
IYAさんは、とても優しく、いつも私(この記事の執筆者)の相談にのってくれます。
IYAさんの家に遊びに行くと、IYAさんのお母さんはいつでもおもてなしをしてくださり、料理は美味しく、とても優しいです。
IYAさんにインタビューをしていると、親鸞聖人の教えにとても感動されていることが、よく伝わってきました。
浄土真宗親鸞会大阪会館によく参詣されていますので、IYAさんを見かけたら、ぜひ声をかけてみてくださいね。