【学徒インタビュー】T村さんを紹介

今回は、大阪の親鸞学徒、T 村さんを紹介します。

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プロフィール

T 村さんは、平成9年9月に、大阪府堺市に生まれました。

堺は、蓮如上人も何度も布教にまわられた土地であり、大変仏縁深い地域です。

たとえば、蓮如上人は堺での布教の拠点として、堺御坊信証院を建立されています。

包丁の町

堺市で有名なものは何か尋ねたところ、「包丁作り」ということです。

堺は古墳で有名ですが、「包丁作り」でも有名で、由来は、古墳時代に遡ります。

当時、仁徳天皇陵古墳を造る際の工具を製造するために、全国から鍛冶職人が堺に集められました。

この時に堺は鍛冶職人の町となります。

時が経ち、戦国時代になると、ポルトガルから種子島に鉄砲が伝わりました。しかし種子島では大量生産できません。

そこで大阪商人の橘屋又三郎が、堺の鍛冶職人を連れて種子島に鉄砲製造を見に行ったところ、「こんなんやったらわしら包丁職人でできるで」と、職人がいうので鉄砲製造技術を持ち帰りました。

やがて当時全国の鉄砲の97%が堺で生産されるようになったといいます。

織田信長も徳川家康も堺から鉄砲を大量に買い付けています。また、石山合戦の際には本願寺側で善戦した、鉄砲集団として有名な雑賀衆(雑賀門徒)も堺の鉄砲を使っていたことでしょう。

しかし江戸時代になると戦争もなくなり、鉄砲の需要が激減します。

そこで次に堺の鍛冶屋が目をつけたのが、当時ポルトガルから伝わり、流行しはじめたタバコでした。

これまでの技術を活かし、タバコの葉を刻むための包丁を造ったところ、切れ味がよく、長持ちすると瞬く間に全国で話題となりました。

堺の「包丁作り」の技術は、昭和57年に堺打刃物として伝統的工芸品に指定されています。

ではさっそく、堺市という歴史ある地域、そして仏縁深い土地で育ったT村さんについて、インタビューをしていきたいと思います。

どのような家族ですか?

両親と3人家族で、一人っ子です。

一身に両親の愛情をうけ、育てられました。

父は、とても穏やかな性格で優しく「ほわん」としている印象です。

母は、とても芯が通っている性格で、一見厳しくも思えますが、やりたいことをやらせてくれる優しさも持ち合わせています。

父と母はいつも一緒に行動しているので、仲が良く、息子としては嬉しいです。

両親との思い出としてすぐに思い出すのは、夏休みの自由研究を助けてもらったこと。

自由研究は苦手で、子どもながらに苦しんでいたので、放置せず助けてもらえたことに本当に感謝しています。

そしていつもやりたいことはやらせてくれたことも、今ではいい経験となっていてありがたいと思っています。

どういう子供でしたか?

とにかく遊ぶのが好きでした。

車のおもちゃが好きで、よくトミカを転がしていたのは覚えています。

子供の頃から車が好きで、遊び方は変わりましたが、今も変わらず車は好きです。

小学生の時は、サッカー部に入っていました。

中学受験をし、中高一貫校では科学部に入り、文化祭や発表会で実験結果をプレゼンしました。

中学からの同期の中には、付き合いが長い友人もあり、当時からよく話し、今でも交流があり、とても信頼しています。

良い友人と出会えてよかったです。

どこに進学しましたか?

大学は、関東の私立大学の法学部に入学しました。

初めて親元からはなれましたが、ホームシックにはほとんどなりませんでした。

関東では一人で遊ぶことが多かったですね。

現在は、大阪に戻って堺市に住み、大阪市内で就職しています。

趣味はなんですか?

ずっとテレビゲームが好きです。特にシューティングゲームが好きで、爽快感があり、ストレス発散になります。

あと車で一人でドライブに行くのが好きです。

誰かと一緒でもいいのですが、一人だと気軽にいけるので一人が多いです。

海よりも山にいくことが多いです。山道でグネグネとしたカーブが多いところにいきます。

自分の運転スキルを磨けますし、自分が運転をコントロールし、車を操っている感に浸ることが、とても楽しいです。

漫画の「頭文字D」が好きで、舞台となった場所にも行きました。

最近では和歌山県の高野山付近の道、国道371号線を走るのが好きで、たまに行っています。

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