今回は、大阪の親鸞学徒、I・Hさんを紹介します。
プロフィール
I・Hさんは、1991年1月に、兵庫県伊丹市で生まれました。
育った場所は、小学校六年生までは尼崎市、中学生以降は豊中市です。
家の近くには、「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」にも選ばれた、大阪府において最大級の広さがある大阪府営服部緑地があります。
服部緑地の歴史
服部緑地は、昭和3年(1928年)「総合大阪都市計画」の中で、服部公園として整備されました。
当時、明治、大正、昭和にかけて大阪の人口が大幅に増加したため、将来を見据えて、街路、運河、下水、公園、墓地などの大幅な整備が行われました。
大阪として初めて「都市計画」の中で指定された公園の一つが、服部公園です。
昭和16年(1941年)に服部公園は、防空緑地計画を由来とする大阪四大緑地(服部・鶴見・久宝寺・大泉)の一つとして、服部緑地として開発されました。
防空緑地とは、都市に対する空襲被害が出た場合の避難場所として、また延焼を防ぐ目的で防空法改正法で指定された緑地のことです。
戦後になると、大阪府民の健康と生きがいを支えることを目的とする公園として、昭和24年(1949年)から再開発されることになりました。
現在では、運動場や、野外音楽堂、民家集落博物館、植物園などの文化施設などがあり、多種多様な鳥や昆虫、植物の観察もできます。
現在(執筆当時)は、梅林も見頃です。
また令和6年(2024年)には魅力向上施設として、以下のお店がオープンします。
令和6年1月25日(木)オープン スターバックス(西中央広場)
令和6年2月16日(金)オープン ローソン(第1駐車場)
令和6年3月1日(金)オープン バーベキュー売店「Good BBQ 服部緑地バーベックマルシェ」(西中央広場)
今も大阪を代表する公園として、改修や開発が進められ、今後は複合型温浴施設、カフェ、スケボーパークなども開業予定となっています。
ちなみに服部緑地には、大きな蓮池があります。
![](https://osakakaikan.site/wp-content/uploads/2024/02/24704206_s.jpg)
蓮は仏教でもよく登場する花です。
たとえば極楽浄土に八功徳水の蓮池があると阿弥陀経に説かれています。
また仏様の立たれている台座が蓮座であったり、妙法蓮華経などお経の名前に蓮がついていたり、蓮位房など僧侶の名前に蓮をつけることがあります。
蓮と仏教にはどのような関係があるのでしょうか。
詳しくはこちらの記事をお読みください。
今回は、このような公園の近くで育ってきた、おしとやかなI・Hさんにインタビューをしていきたいと思います。
どのような家族ですか?
(I・Hさんの回答)
私の家族構成は、父、母、長女(I・Hさん)、弟2人(双子)の5人家族です。
近くに祖母も住んでいて、今でもたまに会っています。
父のこと
父は、とても実直で、口数は少ないほうですが、何事もこつこつと取り組み、決めたことはなんでもやり切る性格です。
最初の仕事は祖父の会社に就職しましたが、ずっと研究者になりたかったようです。
そこで祖父が亡くなると、跡を継がず会社をたたみ、会社員をやめて大学院に入り直しました。その頃には、結婚もして弟も生まれていたので、どうするかとても悩んでいましたが、最後は母が背中を押してくれたようです。
父は研究者にとても向いており、今では大学の教授として働いて、私と弟たちの進路や、生き方に口出しをすることは一切なく、いつも陰ながら支えてくれています。
仏教を聞き続けてこられたのは、父の支えも大きかったです。
父との思い出
子供のころは、絵を書いたり、図工のようなものが好きでした。
父の誕生日と、父の日には、決まってグリーティングカードや手紙などを書いて渡していて、中学生くらいまで毎年かかさずやっていました。
今でも大事に取ってくれているのは、嬉しいです。
母のこと
母は、真理を追求する気持ちが強く、昔から生きる意味について深く考えている人です。
母は、仏教を聞く前は、芸術に生きる意味を求めていたようですが、本当の生きる意味が仏教にあると知り、いつも熱心に聞き学んでいます。
子どもから見たら母は、だいぶ自由な性格だと思います。やりたいことは、積極的にやろうとしています。最近は一緒に農業をしたり、タイのバンコクにいる親戚に会いに行きました。
私たち姉弟にもやりたいことはいろいろとさせてくれて、いつも子どもの意志を尊重してくれました。
自分自身で考えて決めさせることが教育方針だったように思います。
子どもの頃から、勉強をしなさい、仏教を聞きなさい、と言われたことはありません。
「自分で考えて判断しなさい」「自分で考えて行動しなさい」と言われて育ちました。
何でも自分で決めさせてもらえたことで、考えて行動することができるようになり、今でもとても感謝しています。
自分で決めたことなので、一つ一つの結果に対しても自分で責任をとろうという気持ちにもなりました。
今は母との関係は、上下関係というより、同じ仏教を聞く法友という感じが強いです。お互いにストレートになんでも相談したり、言いあえる関係で、遠慮も気兼ねもない関係性で、仲はとても良いように思います。
弟(長男)のこと
弟がどんな人か、これまであまり考えたことはありませんでした。(笑)
優しく、おだやかで、落ち着いていて、ほとんど怒ったところをみたことがありません。
周りへ心配りができ、物事を進めるときはとても慎重になる性格だと思います。
弟(次男)のこと
長男と優しいところは変わらないですが、長男と違って我が道を行く感じがします。
慎重に行動するというより、やりたいことはやる、なるようになる、という感じで、程よく力の抜けた性格なのかなって姉から見て思います。
どのような子どもでしたか?
幼稚園のころは、今と違い、天真爛漫で、みんなを引き連れて汽車ポッポなどの遊びを、率先してするような子どもでした。友だちと賑やかに遊ぶタイプでした。
ただ小学生くらいから、子どもながらに人間関係で悩み、人の目を気にするようになりました。女の子たちの派閥ができるようになったのですが、私はどこにも入りたくなく、派閥の間に挟まれて、友達のとりあいみたいな争いに巻き込まれてしまいました。
特定の友だちとしか仲良くできないというのは理解できず、とても苦しかった思い出があります。
中学生になると、今みたいにおしとやかな?(笑)性格になったと思います。いつもほわーっとしていて、ニコニコしていて、友人からは「悩みがなさそうでいいね」って言われるようになりました。
振り返れば、自分の心を誰にもさとられないようにして、何も考えていないふりをしていたと思います。
部活はバドミントンをしていましたが、あまり熱中することができませんでした。
中学生くらいまでは友人関係などがきつかったですが、高校生になると人間関係も良好で、楽しく過ごせましたが、ただ性格はあまり変わらず、あまり自分の思っていることを相談できませんでした。
進路は、特にこだわりはなく、家から近くだったこともあり関西大学に進学し、大学生になってからより真剣に仏教を聞くようになり、親鸞学徒の法友もたくさんできたのはよかったと思っています。
大学卒業後は本町の企業に就職をしました。残業がなく、会社の理念や雰囲気が合う会社です。
仏教を伝える仕事に進みたい
一度就職してからも、ずっと仏教を伝えられるような仕事がしたいと思っていました。
私は、生まれたときから仏法が身近にあったので、当たり前のように聴聞していましたが、大学生になり、初めて友人や知人に仏教の内容を話すようになりました。
その時、仏法を伝えることで、心の底から湧いてくる充実感を経験しました。自分をとおして仏縁を結ぶ方がいるのは、とても嬉しく感じます。
一方で、うまく伝えられず悔しい経験をすることで、親鸞聖人の「善知識にあうことも おしうることもまた難しよく聞くことも難ければ 信ずることもなお難し」のお言葉が知らされ、私に伝えてくだされた方に感謝せずにおれなくなります。
私が本当にやりたかったこと、人生をかけて、命をかけて求めたいものがここにあると思い、進路を変更しました。
仏教を聞きはじめたきっかけはなんですか?
物心ついたときには、母といっしょに聞法していました。
仏教・親鸞聖人の教えで一番関心があった内容はなんですか?
中学生のときに、高森先生から「相対の幸福」と「絶対の幸福」の話を聞かせていただき、理解できたときに、とても驚きました。
私は、凄く冷めやすい性格だと自覚していて、ものごとに熱中するといったことができませんでした。
周囲の友人は、勉強や、部活、恋愛、趣味など、みんなとても熱中するものがあって羨ましく思いましたが、私にはほとんどありませんでした。
「なんで自分は冷めちゃうんだろう」「自分の性格が悪いんじゃないか」など思うこともあり、冷めている自分を隠し続けていて、誰にも言えず、孤独でした。
そのときに「この世の幸せは相対の幸福であり、いつまでも続くわけではない」と教えていただき、はじめて自分の気持ちがわかってもらえたと思い、感動しました。
私は子供のころから、熱中していたものもいつかは冷めてしまうことに気づいていたため、自分が傷つかないように深く入り込めなかったんだと思います。
そして「人間の実相」の秋の夕暮れの例え話などで、孤独感は私だけではなく、みんな抱えているものだということも教えていただき、安心しました。
自分が悪いということではなく、みんな孤独なんだと知り、自分の心をわかってくれる方がいて、とても嬉しかったです。
そして、変わらない幸せである、絶対の幸福があるなら知りたいと思うようになりました。
仏教を聞き続けようとおもったのはなぜ?
親戚や友人は、私の幸せを心配したり、願ってはくれますが、私の本当の幸福について教えてくれる人はいませんでした。
旅行して多くのことを経験すると良いよ、彼氏ができると楽しいよ、良い服を着たら満足するよ、など私のために言ってくれるのはありがたいと思っていますが、本当の幸せについて教えてくれる人はありませんでした。
本当の幸せになれる可能性は、仏教にしかありません。
他に幸せがあるかもと思ってもみましたが、全然見つかりませんでした。
絶対の幸福になれる可能性があるなら、それにかけてみようと思い、今も親鸞聖人の教えを聞き続けています。
大阪会館についてどう思いますか?
大阪会館は、大阪の親鸞学徒と触れ合うことができ、私にとって訪れると元気になる場所です。
私が小さいころからお世話になっている人や、年の近い友人などみんながあたたかく迎えてくれる場所なので、落ち込んでいても行くだけで元気になれる、心の故郷のように思っています。
今後の抱負
私が今一番幸せな時間は、家族と仏法について話をしているときです。お互いに気兼ねなく、思ったことをなんでも質問ができる一番の法友が家族で、一緒に話ができることが幸せです。
親鸞学徒のみなさんにも大事な家族と一緒に聞法していただきたいと思いますので、そういう輪が広がるようなお手伝いをしていきたいと思います。
編集後記
大阪会館でお会いするといつも誰に対しても笑顔で接し、親鸞学徒の皆さんを幸せにしているI・Hさんですが、これまで誰にも言えなかった思いがありました。
仏教には自分の本心について教えられていることにとても感動したということで、同じような経験をされた人も多いのではないでしょうか。
「大阪会館に行くと元気がでる」と言われていましたが、いつもI・Hさんがいろいろな方に笑顔で接しているからだと思います。
蒔けば生え 蒔かねば生えぬ 善悪の 人は知らねど 種は正直
これからも浄土真宗大阪会館が、一人ひとりにとって居心地のいい会館になるようにしていきたいと思います。