蓮如上人の法光に対するご指示

今回は、慈願寺と浄照坊を兼務していた法光という僧侶についてです。

法円の息子で、浄照坊二代目であり、法円とともに摂津河内での布教の中心人物でした。

法円については以下の記事を御覧ください。

法光は『山科連署記』に登場し、蓮如上人からある指示を受けて京都に向かうエピソードがあるので紹介します。

『山科連署記』とは、明応8年に、駿河、了珍、空善など8人が、報恩の為に専ら師匠である蓮如上人の言行を記し、併せて親鸞聖人以来の事をも載せ、終わりに連著したものです。

目次

法光のお使い

蓮如上人に法然上人から夢のお告げがあり、慈願寺の法光に命じて、知恩院へ向かわせたというエピソードがあります。

先師上人文明十九年正月に、夢想の告げましましき。今年また御物語ありけり。

しかるに法然聖人、親鸞聖人行列したまいひる御跡に、先師も行列ありけるに、先師に対しましまして、法然聖人のたまわく「当流こそ実に繁盛にて候え。されば望みのごとく、予が衣を黒染めになして候へば、今こそ一心専念の文に、あひかなひ候へ」とのたまへり、と夢想の告ましましけり。不思議とおぼしめして明日、東山知恩院へ法光(慈願寺)を御使いとして「東山へ参りて何事かある。法然聖人の御衣は何色にて御座し候ぞ、見て来るべし」とて、つかわさりけり。

法光、やがてかえりまえりて申されけるは、聖人の御衣は、黒染にて、御座候とぞ申されける。

引用:山科連署記

意訳:1487年の正月、蓮如上人に夢のお告げがありました。法然上人と親鸞聖人が並ばれていたあとに、蓮如上人も並んでいると、法然上人がおっしゃいました。「(蓮如上人が伝えている)当流こそまさに繁盛するだろう。されば私の望み通りに衣を黒染めにすれば、今こそ『一心専念』の文意にも適うことになる。」という夢のお告げがありました。不思議におもって、翌日知恩院へ法光(慈願寺)を使わせ「法然上人の御衣が何色か見て参れ」と送り出しました。法光がやがて帰ってきて、黒染めであったことを蓮如上人へご報告しました。

慈願寺の法光も、父の法円と同様に、蓮如上人から厚い信頼がおかれていたことがわかる話です。

この話の続きを簡単に説明しておきます。

もともと法然上人の御真影の衣が、知恩院第21代住職、大誉慶竺のときに黄色の香衣(こうえ:香染めした衣)になっていました。

しかし、蓮如上人が先年知恩院を訪れた際に、「法然上人の御本意は黒染めの衣である」と諭したあと、第22代住職、周誉珠琳が蓮如上人の言葉に従い、黒染めにしていた、という話です。(参考:「『ゑんがく』と浄土宗」)

法然上人の和歌として、以下の歌が伝わっています。

染めばやな、こころのうちを黒染に、衣の色はとにもかくにも

黒はどんな色にも染まらないということで、名聞利欲(色)に染まる僧侶への、戒めの言葉とされています。

僧侶は、そんな地位や名誉など煩悩に振り回されずにいなさいという法然上人の思いが込められている歌です。

法然上人についてはこちらの記事もお読みください。

蓮如上人のご教導

また蓮如上人は、善如(本願寺4代目門主)・綽如(本願寺5代目門主)両代の黄袈裟・黄衣の影像を、親鸞聖人の御名号本尊の教えに違反する多くの本尊と一緒に焼こうとされたとあります。(出典:『蓮如上人御一代記聞書』)

ここからも親鸞聖人の教えを徹底された蓮如上人の、厳しいご教導が知らされます。

袈裟を燃やそうとされたことについて、蓮如上人のご子息である実如上人は、以下のように述べられています。

前々住上人の御時、あまた、昵近(じつきん)のかたがた、ちがい申す事候う。いよいよ、一大事の仏法のことをば、心をとどめて、細々、人に問い、心得申すべき」の由、仰せられ候いき。

(引用:蓮如上人御一代記聞書』

意訳:蓮如上人のご時代にも、懇意に教えを受けておられた方々の中に、親鸞聖人の教えと違うことを言う人が数多くいました。私たちはいっそう自戒して、一大事の仏法であることを心に止め、幾度も幾度も人に尋ね、教えを正しく心得なければなりません

自分の理解が間違っていないか、よく理解している親鸞学徒に何度も何度も質問することは、大切な心がけです。

編集後記

法円・法光親子は蓮如上人の大阪でのご布教を支えながら、蓮如上人が親鸞聖人の教えを間違いのないように徹底されるお姿を見ていたことでしょう。

私たちも間違いのないように、正しく聞かせていただかなければなりません。大阪の親鸞学徒の先輩たちによって伝えられた親鸞聖人の教えを、これからも大阪会館で学んでいきましょう。

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