今回は、顕真平成9年7月号を紹介します。
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関西降誕会 難度海の人生を光明輝く人生に
親鸞聖人ましまさずば、絶対に知ることのできなかった真実がある。
聖人のご生誕なかりせば、毛頭聞きえなかった大事がある。
テレビ、ラジオ、巷にあふれる雑誌や本でも、題材にされているのは、「どう生きるか」ばかり。最も大切な「なぜ生きるか」は、どうしたことか、まったく語られていない。
「なぜ歩くか」があってこそ、「どう歩くか」が問題となる。目的が大事だからこそ、手段が大切となるのである。
にもかかわらず、政治、経済、科学、医学、法律、芸術、文学等々、人間の営みすべては、「どう生きるか」のみを対象とし、「なぜ生きるか」を論じるものは、皆無ではないか。
祖師聖人より、人界受生の本懐を明らかに知らされた喜びは、何ものにも代えられない。
聖人のご生誕を祝って、親鸞学徒は、5月に親鸞会館、6月には大阪城ホールに群参、降誕会をご縁に、高森先生の不惜身命のご説法に聞き入り、値遇仏法の歓喜を新たにしたのであった。
6月1日 熱気みなぎる大阪城ホール
6月1日、石山本願寺のあった地・大阪城ホールにて、関西降誕会が挙行された。前日には、同会場で、聖人のアニメ上映会も行われ、感激した参加者も続けて参詣している。
高森先生が、大獅子吼くだされたのは、
弥陀観音大勢至
大願の舟に乗じてぞ
生死の海にうかみつつ
有情をよぼうてのせたまう
の正像末和讃である。
親鸞聖人は、このご和讃で、人はなぜ苦しくとも生きねばならないかを教えてゆかれた。
人生の目的は、難度海の人生を明るく楽しく渡す大悲の願船に乗せていただくことにある。
十方衆生は、金や財産の丸太や板切れがあれば幸福になれると、すがっては裏切られ、苦しみ続けている。阿弥陀仏は、そんな苦悩の有情の元へやってこられ、
「ここに大悲の願船があるぞ」
と呼びかけられて、乗せてくだされるのだ。
高森先生は、親鸞聖人が世界の光、人類の光といわれる所以を懇切丁寧に開示なされ、ドーム型の大阪城ホールは、真実との邂逅の歓喜で包まれたのであった。
参詣した方の感想を紹介します。
分からぬ自己の姿
どう生きるかしか考えていない、生きるために生きている姿を教えていただくまで、そういう自分であるとは、気づきませんでした。
家康のように重荷を背負って遠い道を行かねばならないところでした。
十方衆生を助けてくださる阿弥陀仏の本願を聞法してゆかねば、とても分からない私の姿です。大願の船に乗せていただけるまで、聞法を続けてゆきます。
信楽の身になるまで
なぜ生きるかとどう生きるかの違いを知ることが、大変重要と分かりました。
なぜ生きるかが明らかでなければ、日々の生活は、無意味です。毎日、私の心は、人生の目的を知りたくて苦しんでいることも分かりました。
本願の船に乗せていただき、信楽の身になるところまで、進ませていただきます。
阿弥陀仏の大慈悲
本当に感動的なご和讃でした。特に「生死の海に浮かみつつ」のお言葉は、読んだだけでは意味不明でした。それを、往診の医者にたとえて教えていただき、驚きとともになんとかたじけないことだろうかと、改めて阿弥陀仏の慈悲の深さに胸を打たれずにはおれませんでした。
編集後記
どう生きるも大事ですが、なぜ生きるはもっと大事です。
阿弥陀仏の大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わります。
この大船に乗せていただくまでは、どんなに苦しくても、生き抜かねばならない、これが親鸞聖人の「なぜ生きる」の答えです。
大阪会館でなぜ生きるの答え、阿弥陀仏の本願について、これからも聞かせていただきましょう。