平成10年高森先生のご講演:三朝浄土の大師等のご和讃について

今回は、顕正新聞平成10年7月15日号に掲載された、高森先生の大阪城ホールでのご講演について紹介いたします。

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関西降誕会 大阪城ホールで盛大に

初夏の平成10年6月14日(日)、大阪府・大阪城ホールで、親鸞聖人関西降誕会が盛大に厳修された。

大阪は蓮如上人が、晩年に御坊を建立され、当時の地名「おさか」を「大坂」と改名されたところから歴史が始まる。その大坂御坊がのちの石山本願寺である。今でも大阪城の一角に「石山本願寺跡」の大きな石碑が建っている。(近くに「南無阿弥陀仏」と書かれた大きな石碑があります。)

戦国時代、仏敵信長は浄土真宗を殲滅せんと堕獄の刃を石山本願寺に向けてきた。

真宗門徒は同地で11年間、法灯死守の戦いを繰り広げ頼山陽をして「抜き難し、南無六字の城」と言わしめた。これが石山戦争である。

石山戦争(石山合戦)については下記もご覧ください。

かつて同朋が命を懸けて聞法・護法に馳せ参じた大阪の地に、現代の親鸞学徒が集まり、真剣な聞法に身を沈める。高森先生は親鸞聖人の正像末和讃、

三朝浄土の大師等

哀愍摂受したまいて

真実信心すすめしめ

定聚のくらいにいれしめよ

を通して、世界の光・親鸞聖人の教えを開顕なされた。

それは「なぜ生きるか」の人生の目的である「真実信心」を勧めることであった。

釈尊初め、インドの龍樹菩薩、天親菩薩、中国の曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、日本の源信僧都、法然上人、これら三朝浄土の善知識方のお勧めは「真実信心」一つであり、真宗八代目の善知識・蓮如上人も同じである。

善知識については合わせてこちらの記事もお読み下さい。

歴史上初めて「大坂」という言葉が使われた蓮如上人の御文章「大坂建立の章」には、高森先生が常に讃題とされる「あわれあわれ存命のうちにみなみな信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」のお言葉がある。

善知識方のお勧めは一貫して「真実信心を決定せよ」であることを、高森先生は一日かけて懇切にご教示くだされた。

関西降誕会トピックス 大阪城ホールでアニメ上映会

関西降誕会前日の平成10年6月13日午後、大阪城ホールにて、『世界の光・親鸞聖人』第4部と、『王舎城の悲劇』の上映会が行われた。

折からの豪雨にもかかわらず、地下鉄のポスター、チラシや友人を縁に足を運んだ人で賑わった。
太田さんや、前川さんの爽やかな司会も好評で、『世界の光・親鸞聖人』シリーズの貸出しや、『とどろき』の購読を多くのひとが希望しました。スタッフがコーヒーを配るなど、和やかな雰囲気の中、進められていった。

世界各国のミュージシャンも集まる、この大阪城ホールで、全人類の最も知りたい真実を伝える最高傑作が披露され、感動の声はしばし止むことがなかった。終了後のアンケートには、次のような声が寄せられている。
親鸞聖人ご布教のご苦労がどんなに大変だったか、よく分かりました。子供にも見せてやりたいと思います
『王舎城の悲劇』の韋提希夫人は、自分の姿と思われました。本願力の素晴らしさを強く知らされました
『蒔かぬ種は生えぬ』。この言葉がこれほど心にしみたのはなぜでしょう。釈尊の偉大さ、何ともいえぬ感動の一瞬でした

いくつもの嬉しい再会

関西在住の高森さんは、関西降誕会のこの日、いくつもの嬉しい再会を果たした。各地の会場で聞法をする中で知り合ったひとが、次々と大阪城ホールへ参詣したのである。
満面の笑みを湛える岩﨑さんは、真実の仏法に遇えた感激を語る。
仏教に関心があり、他の宗派で勉強しようと思っていましたが、迷いが晴れました。親鸞聖人が一切経を何度も読破され、『唯説弥陀本願海』と断言なされたとお聞きし、真実は法華経ではなく、阿弥陀仏の本願一つと心が定まりました
と、今後の聞法を決意している。

編集後記

平成10年の関西降誕会の前日から、仏法とのご縁があった多くの人が喜んでいたことがわかります。

「三朝浄土の大師等 哀愍摂受したまいて 真実信心すすめしめ 定聚のくらいにいれしめよ」のご和讃の内容を、当時ご縁のあった親鸞学徒からどのような内容だったか、詳しく聞かせていただくのもいいかもしれません。

大阪会館には、当時から今も真剣に聴聞されている親鸞学徒が集まります。これからも共に聞法させていただきましょう。

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