浄土真宗親鸞会『大阪会館建立』の始まり

大阪会館建立までの歴史を紹介します。

浄土真宗親鸞会発行の平成28年1月1号の顕正新聞の記事です。

大阪会館の建立用地が見つかり、関西の親鸞学徒が大阪会館建立に走り出したときの様子が紹介されています。

目次

 待望の「大阪会館」建立へ

 大阪城の北東部に、「大阪会館」の建立用地が見つかった。

大阪は、蓮如上人が石山本願寺を築かれた地。

奸雄信長も落とせなかった南無六字の城は、先達の熱い信仰に護られた難攻不落の法城だった。

大阪学徒は、今こそ真実の仏法を徹底する秋と“城づくり”に燃える。

 大阪は、83歳の蓮如上人が新たな布教拠点として「石山本願寺」を建立された因縁浅からざる地である。

当時の法城は、大阪城のある場所にあった。

 蓮如上人の『御文章』4帖目15通にも、

抑、当国摂州・東成郡・生玉の庄内・大坂という在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや。去んぬる明応第五の秋下旬の頃より、仮初ながらこの在所を見初めしより、既にかたの如く一宇の坊舎を建立せしめ

引用:

とある。

  仏敵・信長が立地のよさに注目し、立ち退きを要求してきた時も、愛山護法に燃え、全国から馳せ参じた真宗門徒が10年以上命懸けで戦い、信長の蹂躙を許さなかった。世にいう「石山戦争」である。

  医療機器メーカーでシステムエンジニアとして働く建立委員長は、

「大阪会館建立は大きな事業ですが、蓮如上人のご苦労や、石山戦争で法城を護り抜いた先達の報恩を思うと奮起せずにおれません。 500年の時を経た今、大阪学徒が団結し、何としても建立を成し遂げます」

と語る。

編集後記

建立委員長の言葉から、当時の親鸞学徒の意気込みが伝わってきます。

ぜひ現館長に当時の様子を聞いてみてくださいね!

浄土真宗親鸞会大阪会館 看板

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