9月8日は、泉弘行先生のご法話が大阪会館でひらかれました。
人身受け難し今已に受く 仏法聞きがたし今已に聞く
のお言葉について教えていただきました。
人間に生まれたことは当たり前?
私たちは人間に生まれたことを当然、当たり前とおもっていませんか。
地球上70億、80億の人がいる中で、生まれがたい人間に生まれたと思っている人は、何人いるのでしょうか。
「生まれがたい人間に生まれた」とはっきりと知らされてはじめて、よくぞ人間に生まれたものぞの生命の大歓喜がおきるのです。
しかし人間に生まれたことをぼやいている、恨んでいる人が多くいます。
一昨年は1日に70人ほどの人が自殺しています。
琵琶湖線などでよく電車が止まっているが、ほとんど飛び込みです。
あるニュースで、監視カメラに写っていた70代のおばあさんは、線路へ飛び込む前に電車が来る度に、何度もうろうろしていて、最後に飛び込んだといいます。
参考ニュース:https://www.asahi.com/articles/ASL8L3210L8LPTFC001.html
いったいどんな思いだったのか。人間に生まれたことは苦しむためだったのでしょうか。
人間に生まれたことが生まれ難いと思えたら、感謝の心が起きてきます。
この世で最も不幸な人は、感謝の心のない人である
どんな人が不幸な人なのか、それは感謝の心がない人です。
自分が本来しないといけないことをしてもらったときに、感謝の言葉が出てきます。
感謝ということがあって、初めて喜びがでてくるのです。
「生まれ難い人間であった」と知らされたときに、生命の大歓喜がおきるのです。
人間に生まれることの難しさを、盲亀浮木のたとえで教えられています。
※盲亀浮木のたとえについては、以下の記事を参考にしてください。
いま生まれ難い人間に生まれてなすべきことは何なのか。
さらに源信僧都のお言葉を通して教えていただきました。

源信広開一代教
正信偈
まず三悪道を離れて人間に生まるること、大なるよろこびなり。
身は卑しくとも畜生に劣らんや、家は貧しくとも餓鬼にまさるべし。
心におもうことかなわずとも地獄の苦にくらぶべからず。
横川法語
私たちが生まれ難い人間に生まれて、果たさなければならないたった一つの使命があります。
それは迷いの世界である六道から離れた身になること。
人間に生まれなければ、仏法を聞くことは絶対にできませんので、源信僧都は「大なるよろこびなり」と仰っているのです。
源信僧都については、こちらの記事もお読みください。
永の迷いの打ち止め
「南無阿弥陀仏」を頂いた一念に、永の迷いの打ち止めをさせられると、教えていただきます。
果てしなく長い間迷ってきましたが、今生こそ大阪会館で仏法を聞きぬき、信心決定させていただきましょう!
