蓮如上人と袈裟の色

今回は、蓮如上人の「袈裟」に関するご教導について紹介します。

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ねずみ色で紋入りの袈裟

蓮如上人は、好んでねずみ色で、かつ無紋ではない、紋入りの袈裟を着られていたことが以下のお言葉からわかります。

蓮如上人、 無紋の物をきることを御嫌候。 殊勝さうにみゆるとの仰候。 又黒き衣を著し候を御きらひ候。 墨のくろき衣をきて、 御前へまひれば仰られ候。 衣紋たゞしき殊勝の御僧の御出候と、 仰られ候て、 いやわれは殊勝にもなし、 弥陀の本願殊勝なるよし仰られ候。

(引用:『御一代記聞書』)

意訳:蓮如上人は、無紋の袈裟を着ることを嫌っておられました。「あまりに立派に見えすぎる」とおっしゃいました。また、黒染めの袈裟を着ることもお嫌いでした。墨で染めた黒い衣を着て蓮如上人の前に参上すると、上人はこうおっしゃいました。「衣紋の正しい、殊勝な僧侶がいらっしゃった」と。しかし、すぐに「いや、殊勝ではない。阿弥陀仏の本願こそが殊勝なのだ」とおっしゃいました。

大坂殿にて、紋のある御小袖をさせられ、御座のうへに掛けられておかれ候ふよしに候ふ
(引用:『御一代記聞書』)

意訳:大坂御坊にて、紋入りの小袖を着られており、お座敷の上に掛けておかれました。

蓮如上人仰に、衣は墨黒にすること、しかあるべからず。衣はねずみ色なり。 凡夫にて在家の一宗興行なれば、いずくまでも、うえした、とうとげせぬなり。

(引用:『御一代記聞書』)

意訳:蓮如上人が仰せになりました。衣は墨黒にするべきではない。衣はねずみ色にすべきである。我々は凡夫であり、在家身分の宗派なのだから、上下とも、どこまでも尊くすべきではない。

また黄衣を着用していた知恩院の法然上人の御影が、 蓮如上人のご意見によって、 墨染めの衣に改められるということがありました。

詳しくは以下の記事をお読みください。

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なぜ黒染めの衣を嫌われたのでしょうか?

親鸞聖人の仰せ

蓮如上人が住職となる前は、本願寺は天台宗の傘下にあったこともあり、本願寺の中で、聖道風・貴族風化した弊習がはびこり、袈裟の色も親鸞聖人が着られていたものとは異なっていました。

つまり、親鸞聖人の教えが曲がって伝わっていたのです。

蓮如上人は、あくまで非僧非俗を貫かれ「教信沙弥のように生きたい」と言われた親鸞聖人の教えを再興するために、袈裟の色をねずみ色にし、紋入りのものにされました。

つねのご持言には、「われはこれ賀古の教信沙弥の定なり」と云々。(略)…愚禿の字をのせらる。これすなはち僧にあらず俗にあらざる儀を表して、教信沙弥のごとくなるべしと云々
(引用:『改邪鈔』)

意訳:普段からよく口にされていた言葉には、「私は賀古の教信沙弥のようである」とおっしゃっていました。(中略)「愚禿」という文字をお名乗りになりました。これはつまり、僧侶でもなく俗人でもないことを表して、教信沙弥のようであるべきだということです。

蓮如上人は、親鸞聖人の常の仰せに従い、衣の色は、ねずみ色にされました。

衣の色は、うす墨にて、加古の教信の意巧を本と御まなびにて候と也。 親鸞聖人の仰にて蓮如上人の御時、実如上人の御時までも、うす墨にて侍りし、 近代は末々の人まで黒衣になり候。

(引用:実悟著『本願寺作法之次第』)

意訳:衣の色は薄墨色で、加古の教信沙弥の考えを手本として学ばれたそうです。親鸞聖人のお言葉により、蓮如上人の時代から実如上人の時代まで薄墨色でありました。近年になって末端の人々まで黒い衣を着るようになりました。

黒染め無紋の袈裟は「自分は僧侶である」という自負が感じられ、非僧非俗という親鸞聖人の教えとは異なることから嫌われたのでした。

しかし実如上人以降、衣の色は黒染めにかわってしまったことを、実悟上人は嘆かれました。

編集後記

蓮如上人はお弟子方に対して、さまざまなご教導をなされています。

私たちはその一つ一つのご教導から、親鸞聖人の教えの深さが知らされます。

蓮如上人が正しく伝えてくだされた親鸞聖人の教え・阿弥陀仏の本願を、これからも大阪会館で真剣に聞かせていただきましょう。

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